最勝寺は深廣山と號し、【位置】熊野町東五丁字禪通寺筋にあり、眞宗大谷派本願寺末、寺格准一等別助音地。【沿革】開基深信坊了西は其先三河の人、俗姓は佐野政道である。政道本願寺蓮如に歸依して出家し、明應三年攝津住吉郡五箇庄杉本村に圓覺寺を建て、四世道了は顯如に隨ひ石山籠城に功あり、天正十八年大阪天滿に移轉し、慶長三年最勝寺と號した。同年別に一寺を堺北庄に創立し、同じく最勝寺と名づけた。元和二年教如坊舍を堺に營むに當り、川端町深廣寺御坊を與へられ、寬永元年現在の地に移轉した。慶長三年堺を本坊と定め、他を支坊とした。(由緖書)【本尊】本尊阿彌陀如來。【堂宇】本堂、庫裏、書院、茶所、門あり、境内百九十一坪を有してゐる。(社寺明細帳)【什寶】什寶に傳狩野永信筆六曲屛風片雙がある。