本成寺は登寶山と號し、【位置】寺地町東三丁字寺町にあり、日蓮宗本法寺末、寺格緋金襴跡。【開山】文安元年久遠成院日親の開山で、【開基】桔梗屋重兵衞の開基である。(日親上人御傳記)日親文安元年冬播磨東條鄕に於ける危急を脱して兵庫に到り、更に乘船して堺津に着岸し、(日親上人德行記)石上に座して説法を試むること數日、桔梗屋重兵衞其教化を受け一宇を創建して本成寺と稱した。(日親上人御傳記)【舊塔頭】寶永元年の記錄には寺家に寂正院、良泉院の二坊の名が見えて居る。(堺南北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)斯して當寺は京都本法寺とは同開基であつたが、本法寺老衲の隱栖所となつてからは、却て末寺となつた。(堺鑑中)【本尊】本尊題目寶塔、釋迦、多寶二佛、上行、無邊行、淨行、安立行の四菩薩、持國、廣目、毘沙門、增長の四天王、文殊、普賢の二菩薩である。(社寺明細帳)【堂宇】本堂は文安年中、庫裏は文久元年五月、鐘樓は延寶五年五月の建設で、客室は文化二年五月、山門は延寶五年の再建になり、又支坊寂照院は慶長年中の造立、良泉院は明治五年八月の再建である。境内佛堂に文安中建設の開山堂、妙見堂、延享年中建設の擁護堂及び高座石室等がある。(堺史料類纂)三百八十八坪の寺域を占め、(社寺明細帳)【什寶】什寶に日親上人木像一軀、鬼子母善神一軀、日親上人筆十界曼荼羅一幅、同板曼荼羅二面等がある。【墓碑】又墓地には俳優二代中村富十郞の墓牌がある。