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(二)來迎寺

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 來迎寺慈光山と號し、【位置】綾之町西二丁字綾堀屋敷にあり、融通念佛宗大念佛寺末で、寺格二等格。【創建の傳説】傳へいふ、元享三年融通念佛宗の中祖良尊(法明)播磨に加古の教信の遺跡を訪はんとし、航海中難風に會し、奇瑞ありて船は七堂濱に着岸し、道俗男女良尊を圍繞し、歡喜踊躍して念佛を修した。【躍念佛】是卽ち踊躍念佛である。良尊は此處に草庵を結んで教化した。(融通念佛三祖略傳)然るに其後漸く寺庵退轉せんとするに至り、【再興開山】元和二年の頃觀譽智讚綾堀屋敷町源三郞、九兵衞兩人の宅地百二十六坪を購ひ、此處に寺庵を構營して、中興し、【踊躍念佛と龜の施餓鬼】每年七月八日には、大阪平野本山の化主並に靈佛、靈寶、龜鉦等を迎へ、七堂の三昧に、踊躍念佛並に龜の施餓鬼を修することゝした。(來迎寺緣起、堺鑑中)其後此法要は皇子飢又は戎嶋に於て施行せらるゝやうになり、(來迎寺文書)明治以後は單に施餓鬼のみを修することゝなつた。【本尊】本尊三尊彌陀如來、【堂宇】本堂、庫裏、客殿、座敷、土藏あり、外に地藏堂がある。境内二百三十四坪七合二勺。(社寺明細帳)【什寶】什寶に傳慈覺大師作海中出現地藏菩薩木像一軀、傳弘法大師作十一面觀世音菩薩木像一軀、善導大師名號一幅、傳惠心僧都筆彌陀畫像一幅、珍海筆文殊像一幅、祐天和尚筆名號一幅等がある。