【由緖】當社は殿馬場稻荷とも稱し、創建當時の結構頗る宏麗で、奉行自ら祭事を奉仕し、石燈籠其他を寄進して居り、其主なるもの左の通りである。(堺殿馬場稻荷神社書上)
【奉行の崇敬】
石燈籠 天正 五、 二、吉日 石田 三成
同 九、 二、吉日 大谷 吉隆
同 十九、 二、吉日 富田庄左衞門
同 文祿 二、 二、 石田 重成
同 慶長 六、 二、吉日 成瀨 正成
同 十九、 五、吉日 朝倉 宣正
石燈籠 慶長 二十、 二、吉日 青山 正和
同 元和 二、 二、吉日 長谷川藤廣
同 四、 二、吉日 喜多見勝重
同 寬永 六、 八、五 島田 直時
同 寶曆 七、 九、―― 池田 政倫
同 八、 正、吉日 同
石燈籠 寶曆 十四、 五、吉日 坂部 平明
同 安永 五、 九、七 石野 範正
眷 族 天明 三、 六、吉日 山崎 正導
戸田 忠義
石燈籠 八、 ― 初午 堀山 一也
岸 保正
同 寬正 六、 二、初午 贄 正壽
石鳥居 十二、 二、吉日 仙石 政寅
石燈籠 享和 二、 二、 矢部 定令
同 文化 六、 ― 初午 土屋 廉直
同 九、 二、初午 依田 政明
石鳥居 十三、 二 初午 小菅 正芳
石燈籠 文化 十五、 二、初午 關 行篤
同 天保 四、 二、 矢部 定謙
同 五、 二、 跡部 良弼
同 八、 二、 曲淵 景山
百度石 十三、 八、 水野 忠一
石 橋 十五、 二、吉日 永井 尚德
石鳥居 安政 三、 正、吉日 關 行篤
紀念石 三、 ―― 同
石燈籠 六、 二、 一色 直溫
同 文久 四、 鳥居 忠善
同 元治 二、 瀧川 元義
斯の如く由緖ある神社であつたが、【荒廢】慶應の末奉行廢止と共に次第に忘れられ、維新後稻荷神社と改め、遂に合祀されたのである。(社寺明細書、堺史料類纂)合併當時の境内は三百六十坪、桁行二間、梁行三間半の本殿と二間四方の社務所の外に、琴平神社、嚴島神社等の末社があつた。(社寺明細帳)