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【主要参考文献・史料】

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札幌市文化財調査報告書―Ⅰ『白石神社遺跡』、Ⅲ『T七七遺跡』、Ⅵ『N二九三遺跡』、Ⅶ『T三一〇遺跡』、Ⅹ『S一五三遺跡』、Ⅺ『S二五六遺跡、S二五七遺跡、S二五三遺跡』、Ⅻ『N三〇九遺跡』、ⅩⅢ『T二一〇遺跡』、ⅩⅣ『S二六七遺跡、S二六八遺跡』、ⅩⅤ『S二六五遺跡、S二六三遺跡、S二六二遺跡、S二六九遺跡、S二六六遺跡』、ⅩⅥ『N三〇九遺跡―一九七六年度発掘調査―』、ⅩⅦ『N一九九遺跡』、ⅩⅧ『S四一一遺跡』、ⅩⅨ『S二五五遺跡』、ⅩⅩⅠ『T二八一遺跡、T二八二遺跡』、ⅩⅩⅤ『S三五四遺跡』、ⅩⅩⅥ『T一五一遺跡』、ⅩⅩⅦ『T四六四遺跡、T四六五遺跡、T四六六遺跡、T四六八遺跡』、ⅩⅩⅨ『T三六一遺跡』、ⅩⅩⅩⅡ『N二九五遺跡』、ⅩⅩⅩⅣ『M六七遺跡』
『ウサクマイ遺跡群とその周辺における考古学的調査』(千歳市文化財調査報告書―Ⅳ)、『トビニウス南岸遺跡』(羅臼町文化財報告―三)、明石博志『平和遺跡』、岩谷朝吉ほか『富良野東山』、宇田川洋ほか『釧路川流域の遺跡』、大場利夫『女満別遺跡』、河野広道・藤本英夫『静内町先史時代遺跡調査報告』、河野本道・宇田川洋ほか『加茂川遺跡』、後藤秀彦『共栄B遺跡』、古原敏弘『駒場七遺跡における考古学的調査』、千代肇ほか『函館空港第四地点・中野遺跡』、大場利夫・石川徹『手稲遺跡』、富水慶一・沢四郎「中茶路遺跡」『北海道白糠町の先史文化』一、北海道教育委員会編―『北海道石狩高等学校建設用地内埋蔵文化財包蔵地発掘調査報告』、『美沢川流域の遺跡群』Ⅱ、『美沢川流域の遺跡群』Ⅲ、岩崎隆人・三室俊昭「札幌市附近の遺跡―資料編Ⅰ―札幌市発寒小学校裏遺跡」『北海道の文化』一〇、畑宏明「札幌市附近の遺跡―資料編Ⅱ―札幌市平岸坊主山遺跡」『Aynu Moshiri』Ⅱ、宇田川洋『北海道の考古学』一、児玉作左衛門・大場利夫「函館市住吉町遺跡の発掘について」『北方文化研究報告』八、大場利夫・扇谷昌康「白老郡虎杖浜遺跡の発掘について」『北方文化研究報告』一七、後藤寿一「札幌市及び其の附近の遺跡・遺物の二、三に就いて」『考古学雑誌』二七―九、大沼忠春「北海道中央部における縄文中期から後期初頭の編年について」『考古学雑誌』六六―四、沢四郎「北海道釧路村テンネル第一地点出土の土器について」『釧路の古代文化』六、沢四郎「釧路川流域の先史時代」『釧路川』、沢四郎・西幸雄「東釧路遺跡第一地点(東釧路貝塚)の発掘」『釧路市立郷土博物館報」二一二、沢四郎・西幸雄「北海道釧路市沼尻遺跡の出土遺物について」『釧路市立郷土博物館紀要』二、高橋正勝「北海道七飯町鳴川遺跡の尖底貝殻文土器について」『石器時代』八、東京大学文学部編『知床半島・オホーツク海沿岸の遺跡』上、羽賀憲二「道央部における縄文時代早期平底土器群の様相について」『北海道考古学』一二、上野秀一「石狩海岸砂丘地帯の遺跡群について―考古学資料からみた紅葉山砂丘、花畔砂堤列の固定年代」『北海道考古学』一四、五十嵐八枝子・熊野純男「札幌市北方低地帯における沖積世の古気候変遷」『第四紀研究』一三―二、大泰司紀之「シカ」『縄文文化の研究』二、今村啓爾「陥穴(おとし穴)」『縄文文化の研究』二、西本豊弘・梶光一・上野秀一「人とエゾシカ―縄文の落とし穴猟から現代まで」『アニマ』一一―三、安田喜憲『環境考古学事始―日本列島二万年』、河野広道「発寒村の遺跡発掘記」『蝦夷往来』一〇