上の国の惣大将ハウカセには「下人狄千人程」おり、鉄砲四、五十挺を持ち(津軽一統志)、近江八幡の金(庄)太夫が婿となり(寛文拾年狄蜂起集書)、イシカリ川の川上七里、御手船の交易地「ちよまかうた」より航路五日の所に居を構え、シコツからはハウカセ在所まで八日の道程である。オタルナイをも持分にする「はつしやふ」の乙名「よろたいん」(ヨウタイン)を配下とし、「ふりう川」(雨竜川)のイシカリ川本流と合流地点におり、ハウカセより配下が多いとされる姉婿のウカイシャケを仲間とし、また「ましけ」地域をもその領分にしている。
「さっぽろ」のアイヌ乙名チクニシ(竺無、チクナシ)はオニビシ派で、シュムクル地域集団の一首長のピポクのハロウと行動を共にし、シャクシャイン蜂起後はシャクシャインに従ったとあるが、どのような役割を果たしたかわからない。『松前蝦夷蜂起』ではシャクシャインと共に死んだとあるが、他の記録には見えていない。