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近藤重蔵

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 文化四年(一八〇七)、前年来のロシア船によるカラフト・千島襲撃が直轄になったばかりの西蝦夷地リシリ島におよんだことから、同年八月幕府若年寄堀田摂津守の命により、リシリ島辺までの見回りを行った一行中に、小普請方近藤重蔵がいたことは前述した。
 近藤重蔵は、明和八年(一七七一)江戸に生まれ、二〇歳の時家督を相続して御先手与力となった。重蔵がはじめて蝦夷地のことに関わりを持ったのは、寛政九年(一七九七)二七歳の時、蝦夷地取締りについての建言を幕府に提出したのにはじまる。それが契機で翌十年、松前蝦夷御用取扱となり、以後十年にわたって蝦夷地のことと深い関わりを持つこととなる。重蔵が蝦夷地に関する情報を得たのは、それより少し前の寛政七年、長崎奉行手付出役として長崎に出張したことも関連するらしく、蝦夷地の情報にかなり通じていたようである。寛政九年、建言と一緒にいまだ足を踏み入れたことのない蝦夷地の絵図、すなわち重蔵の言い方を借りれば、「蝦夷地仕法目論見絵図面」といった開拓計画図を作成して提出している。