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入北記

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 (三)は、雲・行・雨・施の四巻で構成され、東西蝦夷地、カラフトの巡回の記録である。巻名は、『易経』の「雲行雨施、品物流形」からとられていた。義勇は、箱館奉行堀利熙の廻浦に、中小姓として加わり、閏五月十一日に箱館を出立する。この日以降、六月二十九日にカラフトのトンナイに至るまでの日誌が、雲の巻に収録されている。しかし、現在この巻のみが所在不明で発見されていない。それゆえ、義勇がイシカリでどのような見聞や調査をなしたのか、うかがいしることはできない。ただ同行の仙台藩玉虫左太夫が著した同名の『入北記』が残っており、そのだいたいは推測できる。
 行・雨・施の三巻は伝蔵されており、杉谷昭により活字化されている(佐賀大学教育学部研究論文集 第二二集~二四集)。堀利熙の一行は、九月九日にユウフツから再びイシカリ入りするが、義勇は「おのれは此の十日計、小瘡又々手足共一時に盛に出瘡、乍残念居動至て不自由になれば、断りて此の千年(ちとせ)に滞り琉(硫)黄湯をたきて養成(生)す。其苦痛いわん方なし」と、長い路程により「出瘡し」、千歳にて治療につとめていた。そのため、施の巻にはイシカリの記載もみられず、彼がイシカリに対しどのような感想をもっていたのか、残念ながらついに知られずじまいに終わる。
 (四)は箱館の市中、港内の外国船の様子などを記し、そして十二月八日に江戸に戻るまでの日記である。東京大学史料編纂所に写本があり、杉谷昭が詳細な史料紹介をおこなっている(安政四年における箱館事情『日本歴史』第三二〇号)。
 島義勇の蝦夷地調査は、以上四点の日記類で判明する。これらの日記類には、地形・地理、産物、各場所や箱館開港の様子、アイヌの民俗などが詳細に記されており、当時の蝦夷地の実状を知る上で得難い貴重な史料となっている。