第二次直轄となり幕府及び箱館奉行は、以上の理由にもとづきアイヌの「撫育」の政策を積極的にとりくみ、また場所請負人のアイヌへの対応に監視の目を向けるようになった。その最初のあらわれが安政二年七月にだされた、「蝦夷共教導方ニ付、支配向心得、請負人支配人幷役蝦夷共ヘ可申諭ケ條伺候書付」である。この書付では以下の八点が、請負人からアイヌへ申渡しをすることがもとめられていた(幕末外国関係文書 一二)。
① アイヌの労働及び賃米・撫育品は、詰合役人が許可・管理。
② 支配人・番人が、アイヌ女性を妾となすことを禁止。
③ アイヌ男女の結婚の奨励。
④ 蓑笠(みのがさ)・草鞋(わらじ)の使用の解禁。
⑤ 和語使用の解禁。
⑥ 外国人よりの贈与品は役人へ提出。
⑦ 死者の出た家を焼き払うことの禁止。
⑧ 入れ墨・耳環(みみわ)の習俗を改め、漸次、「内地の風俗」化への申諭。
以上の八点はいずれもアイヌの固有の民族文化を認めず、一様に和風化・和人化をはかると同時に、場所請負制において衰退・疲弊したアイヌの保護をめざすものであった。幕府・箱館奉行がこのような政策をとったのは、やはり北方の領土問題とアイヌ問題を、密接不可分なものと考えていたからにほかならない。
先の書付が出された安政二年七月以降、箱館奉行では右記の政策にそい、種々の具体的な諸施策がとられてくる。高倉新一郎の概括によると、それらの諸政策は、(一)労働条件改善政策、(二)人口保全政策、(三)同化政策の三種にわけられる。しかし、いずれも根本的な解決をみたものはなく、実効のともなわない面も多く、(三)の同化政策も固有の民族文化を守ろうとするアイヌからの反発も多く、中途で放棄される状況であった。