当時不取締の儀幷土人遣ひ方等難尽言語、人別六百九十人と有之候得共、当時取調候処四百八十斗(ばかり)に御座候。……尚御思召立も被為在候はゞ、御直捌被仰付候はゞ土地も早々相開け、土人も増殖仕候と奉存候、
ここで武四郎は、アイヌの人口減少の原因は場所請負制にあることを指摘し、箱館奉行に直捌を要請していた。
武四郎はイシカリ改革後のイシカリの様子を、「此度直捌に成てより移住の者も多く、僅一年の間に一すじの町家となりしも、偏に休明の御世なるかな」と述べ、イシカリ改革の成果を「休明の御世」と讃嘆している(西蝦夷日誌)。アイヌ問題の改善にも、武四郎は大きな期待をよせていたはずである。イシカリ改革の成果が実際的にどのようなものであり、武四郎はどのように評価しえたのか興味がもたれる。しかし武四郎は安政六年(一八五九)以降、二度とこの蝦夷地に渡ることがなかった。彼の評言を、再び聞けないのはまことに残念である。