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中嶋村の成立

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 荒井村に比して、中嶋村の性格は明確である。すなわちイシカリ在住として安政四年ホシオキに入地した中嶋彦左衛門は、万延元年コトニ川支流のケネシベツ川流域(コトニ開発場)に移り、おそらく同年中に荒井村の南方、明治以降五ノ戸(ごのへ)と呼ばれた地に入地した。すなわち在住村である。『逸伝』によれば、早山清太郎がここへの移住を説いたとされている。招募農民については、岩村判官『札幌開拓記』が六人とし、そのうち今(明治五年ころ)兼松、要蔵、多助、善吉の四人が残っているとしているが、『逸伝』では石切半次、兼松、酉松、吉蔵その他数名とあって、必ずしも一致はしていない。なお兼松は村役人をつとめていたとみられる。