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水沢伊達家の家臣団

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 戊辰戦争で窮乏した仙台藩の諸士族や家臣団が、競って蝦夷地北海道へ移住するようになることは次項で述べることにするが、平岸村に移住した士族たちも同様の理由であった。彼らは仙台藩水沢領主の伊達邦寧(くにやす)の家臣であった。邦寧は将監、将一郎とも通称し、水沢の伊達氏は留守氏(るすし)ともいった。
 家臣達は他の領主にならい北海道移住を計画し、二年十二月に坂本平九郎藤田源四郎、吉田元俶の三人が代表となり按察使(あぜち)を通じて開拓使へ、「数百之同志力ヲ協、自費を以漸次転住、精励開拓傍防禦守衛ニ尽力仕度」と、地所の割渡しを出願した。出願書には九一人の「跋渉魁首之人員」が添えられており、多くの家臣が移住の決意を固めていた。これに対し開拓使では、札幌・空知の両郡の内を割渡すことを指令し、彼らの移住は許可された。この頃、家臣の一人で後に平岸村に移住する高橋陸郎はすでに函館に来ていたことが、幌別郡に移住した片倉家臣の本沢直養の日記でわかる(ふるさと登別 上巻)。陸郎は開拓使との折衝役にあたったようである。日記では水沢からの移住者は四九人と述べられている。