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町区画を示す図

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 写真7は『札幌区劃図』(北大図)と題されている地図である。『新撰北海道史』第三巻では、同図の建物の位置をいくつか修正して「札幌草創図」として掲載し、四年末の状態を示すものとコメントしている。『新撰北海道史』が修正した意図は不明である。

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写真-7 札幌区劃図(北大図)

 この図から町割については、第一に六〇間四方の碁盤の目の区画であること、第二に後の西一丁目に当たる部分の区画が、大通以北は幅四〇間弱しか区画していないし、大通以南は東へ二〇間ほどずれていること、第三に町割の区画が単純に正方形の一丁区画だけを示している部分と、六間の中通が記されている部分とがあること、第四に後の本庁地に当たる部分が、実際に区画された区域よりも小さく朱線で区画されていることなどの特徴を見出せる。また地形については、第一に胆振川が後の北二条まで北流し、そこから東流していること、第二に現在の創成川も南二条の辺りから南は蛇行しているなどの特徴がある。また建築物については、第一に現在の南一条通以北の建物の配置が、高見沢権之丞が後に描いた明治三年の状態を示しているという絵図に酷似していること、第二に町区画からはみ出したところに民家などがあること、第三に大通に牢屋、鍛冶屋、水車小屋、さらに木挽・大工・土方の長屋、東京大工の長屋などの建設用労働者などの宿舎が記載されていること、第四に大通以南の民家にその所有者または住民と思われる人名が記載されていること、第五に民家の位置がなんらかの計画を示しているように、道路に面していなくても整然と一列に並んでいるところがあること、第六に大通以北東一丁目の区画の分割と東側の建物が後に記入されているらしいことなどの特徴を引き出せる。