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民設時代の札幌郵便局

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 五年十月一日郵便業務を開始するに際し、札幌では九月に津軽通五二番地(南四西五)渡辺仙輔札幌郡郵便取扱人を任命した。郵便取扱所は渡辺の自宅を利用した。そしてその時に関重兵衛、野勢栄吉、池田定吉らに郵便提灯・郵便箱などを作成させて上納させた。代金は全部で五円八〇銭八厘である(郵便上往来 道文四三八)。その後六年五月、渡辺は駅逓寮十五等出仕格を命ぜられ、さらに九月三等郵便取扱役を申し付けられた。しかし出納関係でトラブルが生じたため、八年十一月代理を渡辺順三郎にし、渡辺仙輔は取調べのため函館へ出張した(郵便諸留 道文一二五二)。その後九年三、四月に郵便取扱人は山崎貞興(貞奥か)に変更され、郵便取扱所東創成町五番地(南一東一)に移された。十二年六月隣家からの出火で類焼したため、即日爾志通三八番地(南二西四)に移した(郵便諸課文移録 道文二四八八)。次いで同年八月二十四日山崎貞興が病死したため、佐野平十郎がその後を継ぎ、取扱所も胆振通一七番地(南二西一)に移された。その後十四年三月佐野平十郎の破産のため、佐藤孝郷にかわった。さらに佐藤は、十五年札幌県の准判任官に任命されて仕事が煩雑になったため、代理に沢井福次郎を当てた。しかし県官との兼任で取扱人の職務を遂行できなくなったため、八月養子の佐藤安親を取扱人にした(札幌県治類典 道文七四一五、七四一七)。