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農黌園

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 農黌園とは札幌農学校の農園のことである。同校の開校にあわせて札幌官園の大部分を転轄して設けられた。もともと農業教育機関に試験、教育のための農園が付属するのは米国の制度であり、ケプロン、クラークらの持論でもあった。『開拓使事業報告』第四編(教育)に「明治九年九月農学生徒現術演習ノ為メ地積三十万四千五百坪ヲ農学校ニ属シ命テ農黌園ト云。歳額一万五千三百五十円トス。十月雇米人『ウィリアム、クラルク』ヲ園長トシ、牛馬及農具諸器械ヲ属シ、玉蜀黍其他穀蔬種子等ヲ米国麻薩色朱邦(マサチユウセッツ州)ヨリ購入ス」とあり、欧米農法移入を目的とする新しい基地成立の発端が記されている。
 翌十年には、外人教師の指導のもとながら開拓使技師の設計、施工になる米国風家畜房が建設された。日本における最初の洋風畜舎であり、こののち札幌の真駒内牧牛場七重官園にも同じ形式のものが作られた。農学校教頭兼農黌園長のクラークは十年四月任期を終えたが、そのあと農黌園長として施設の充実をはかったのがウィリアム・P・ブルックスであった。

写真-5 モデルバーン(『札幌農黌第一年報』より)

 明治九年中、開拓使がお雇い外人で園芸の専門家ルイス・ボーマーに命じて石狩通に作らせた温室と付属地三六〇〇坪の花卉園が、十一年二月農黌園に付属され樹芸演習所とされた。一方、十年十二月農学校構内一万二一八〇坪が本道産良樹栽培所とされたが、後年これらの経営経験がもととなって日本最初の近代的な植物園の一つである北海道大学附属植物園が生まれるのである。