翌十年には、外人教師の指導のもとながら開拓使技師の設計、施工になる米国風家畜房が建設された。日本における最初の洋風畜舎であり、こののち札幌の真駒内牧牛場や七重官園にも同じ形式のものが作られた。農学校教頭兼農黌園長のクラークは十年四月任期を終えたが、そのあと農黌園長として施設の充実をはかったのがウィリアム・P・ブルックスであった。
写真-5 モデルバーン(『札幌農黌第一年報』より)
明治九年中、開拓使がお雇い外人で園芸の専門家ルイス・ボーマーに命じて石狩通に作らせた温室と付属地三六〇〇坪の花卉園が、十一年二月農黌園に付属され樹芸演習所とされた。一方、十年十二月農学校構内一万二一八〇坪が本道産良樹栽培所とされたが、後年これらの経営経験がもととなって日本最初の近代的な植物園の一つである北海道大学附属植物園が生まれるのである。