札幌に牧場という名の施設が初めてできたのは、おそらく明治三年札幌元村に設けられた牧場であろう。二年開拓使の管轄に入った虻田・有珠・浦河各郡の牧場にいた多数の馬は、翌三年駅逓備馬あるいは農業篤志者等へ払下げとなったが、その一部三二一頭が札幌に送られた。元村(北七条~八条、東五丁目~七丁目の地域)に牧場を開いて(のち雁来村に移る)、開拓使の備馬として飼った。四年一月備馬の内一二〇頭を札幌市民及び近村に貸し下げたが、翌五年七月にはそれらを売り渡している。開拓使はすでに同年中、馬種の改良を目的として日高地方に広大な面積をもつ新冠牧馬場を設置していたが、七年九月札幌官園内に仮牧場を開いて、同牧場から国産牝馬数十頭を移した。
九年四月上手稲村(ナカノ川左岸、札幌越新道北方一帯)に二〇万三四一六坪の牧場を開き、五月札幌官園の牧馬を移した。しかし同場も牧馬の繁殖につれて狭くなり、また冬期間の飼料の不足も考慮して、お雇い教師エドウィン・ダン等が実地調査をした上で同年中、千歳郡漁村に放牧地と冬飼の牧舎を建築した。手稲村牧場は廃止され牧馬一一一頭と札幌官園の牛若干を移した。こうして札幌周辺の馬牧場は消え、馬牧場は新冠が中心となる。千歳郡漁村は一時的に牧馬場となり、のち真駒内牧牛場の付属牧場となる。