第一回は最初のことでもあり出品も札幌本庁管内と七重官園の生産物に限られた。会場は大通に設定され、出品点数は穀物官有三種三点、民有二〇種二七二点、蔬菜民有二一種一五六点、製造物官有三〇種四六点、民有一一種一三点、動物官有一二種五五点、雑品官有一二種三〇点、民有一四種一五一点であり、官民合わせて一二三種七二六点に達した。出品者は開拓使と民間人四九八人であり、そのうち一等三八人、二等一〇六人、三等四人の一四八人が受賞した。
写真-7 第1回農業仮博覧会(明治11年、道図)
十三年十月札幌で第三回農業仮博覧会が開かれた。出品数は穀物二一種一四九〇点、蔬菜三五種六三九点、製造物一二九種七一七点、動物一三種一一二点、雑品六二種八八三点にのぼり、第一回に比べて出品数が増加したばかりでなく、品位もよくなった。会期は五日間であったが来観者は一万八五三人、一日平均二〇〇〇人をこえる大にぎわいを呈した。
十四年九月二十日から十月九日まで会期二〇日間で、秋田・新潟・石川・福井四県と共同の連合米繭共進会が札幌区大通の農業仮博覧会場において開かれ、入場者六五七三人を集めた。
三県時代以降もこの催しは続けられた。十五年十月札幌で三県連合の農業仮博覧会が開かれた。これは翌十六年からは名称を北海道物産共進会と改め、函館、札幌、根室の順に開くこととし、札幌では十七年十月に開かれた。道庁設立後は二十年、二十五年に札幌区中島遊園地において行い、陳列場ほか多数の建物を設けているが、これらの建物と陳列物がもととなり、常設の北海道物産陳列場が開設され、その後長い間北海道の代表的な勧業施設として活用されるのである。