写真-5 経王寺正面図~願書中~(寺院教導書類 道文3125)
ついで翌十年、前年の願を引継いだ形で予定住職名をあげて再び新寺建立願を提出したが、開拓使は「府県ニ於テハ新寺建立難相成場合ニ有之候得共、当使管下の儀ハ特別之事故人民願ニ依リ不得止分ハ其手続ヲ経テ太政官へ相伺可然義ニ有之」(開拓使公文録 道文五六七八)と原則論を持ち出し、さらにこのための手続等についてくわしい指示を行ったが、これにより出願は再び中断した形となった。
こえて十二年十一月に至り、中村甚五兵衛ほか八人連名で三度目の願書が「日蓮宗一寺創立願」として提出された。これによれば土地は前回どおり豊平村大岡助右衛門私有地八二五八坪を寄付、山号寺号を妙法華山経王寺とし、檀家数一八〇戸、住職予定者は松井寛義となっている。そして翌十三年四月、ようやくにして設立許可を得た(寺院書類綴込 道文五二一九)。