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移住士族取扱規則の適用

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 政府では全国に広がっていた窮乏士族の授産策として北海道移住策を採り、農商務省の意を受けた函館、札幌、根室の三県では移住士族取扱規則を定め、札幌県では六月七日に布達した。これは三県合わせて一二〇万円を十五年度から二十二年にわたり、移住資金や食料・農具・家作料として貸与するものである。函館県では木古内村、根室県では鳥取村へ一〇五戸、札幌県では岩見沢村へ二七七戸がこの規則にのっとり移住した(同規則は十八年二月に予定数満了をもって廃止)。
 十六年施行の規則が十五年にさかのぼって施行されたのは、ひとえに開墾社の士族をこれに適用し救済するためであった。札幌県による適用申請は七月十一日に農商務省の許可がおり(移住士族参考取扱書 道文七八八八)、開墾社の士族には八月二日に布達され、ここに開墾社は解散となった。適用をうけたのは二八戸で、すでに同じく移住してきた二三戸は離村しており、開墾社はほとんど解体の状況であったのである。二八戸には七五〇五円六七銭が貸与されたが、このうち二八五九円八二銭五厘が農商務省貸与金の返納資本とされた。幹部の個人的な流用にもかかわらず彼らの連帯負債とされたのである。四八三円四二銭が旧開拓使の貸与金返済に充てられ、実際に彼らに貸与となったのは四一六二円四二銭五厘であった(貸与金は二十三年三月三十一日に棄捐となる)。
 移住士族取扱規則には三カ年で一戸三町歩の墾了が明記されており、その督察のために勧業課の派出所もおかれる。旧開墾社の士族に対しても十六年十月十四日に篠路村移住士族取扱規則が施行され、日々の開墾課程が定められ、日課表の提出も義務付けられ、勧業課移住士族事務係篠路派出所も設置となり、厳しい監督下に置かれることにもなった。しかし強い結束のもとに耐え抜き、福移の地を切り拓(ひら)いていったのである。