①荒物45 ②醸造業(酒・糀・酢・味噌・醬油)14 ③ 大工13 ④旅籠9 ⑤太物・木綿8 ⑥髪結7 ⑦小商内6 ⑧菓子・餅屋5
この表2からもいえることは、もっとも多い職種は建設関係で、次に目立つのが造酒または料理屋、遊女屋など遊興の業種である。それに異常に多いと思われるのが荒物で、はじめ小商内と記載したが途中で荒物に変更したものが多く、全体の二八パーセントで、これは永住人の四人に一人強となる。この荒物・小商内の多くは、生活が安定しない零細民であったと思われ、「橋頭ニテ立売、小商人共」(市民諸達留 北大図)であったり、のちの『札幌沿革史』に「開拓使の初め商店といふは、雑商にして、荒物・呉服・干物・酒・油等、何品と限らず商ひけりとぞ」の「雑商」と呼ばれる人びとが少なくなかったようである。
これが五〇八戸に達した六年六月段階の職業構成ではどうであろうか。同年六月の『市民商業惣高取調』(市史 第六巻)の記載から職種別にまとめると、表3に掲げたとおりとなる。この表を見た限りでも表2の四年の場合同様、札幌市中の当時の生産活動は、おもに直接本府建設に携わる大工・土方・木挽・杣夫・鍛冶、この人びとに供する飲食・娯楽遊興、往来する旅行者および流通のための旅宿・運漕の業が主体となり、そこに群がるように日雇・出稼にきわめて近い形態で荒物や小商内を業とする人びとが市中の繁栄を担っていた。いいかえれば、開拓使の公共事業等に直接・間接に関わる職種の人びとによって札幌の経済活動が維持されていたといえよう(鈴江英一 草創期札幌の支配と社会)。
表-3 札幌市中職業別戸数(明治6年6月) |
◆ | 建設関係(149戸) |
大工50 土方28 杣工22 木挽職19 鍛冶10 請負人5 材木屋4 鋳物師2 左官2 表具2 銅屋1 屋根普請1 附木1 柾挽1 畳刺1 | |
◆ | 食品関係(47戸) |
菓子・餅11 五十集11 豆腐10 濁酒3 八百屋3 蕎麦屋3 煮売2 味噌・糀2 穀物1 寿司屋1 | |
◆ | 旅籠,料理屋,貸座敷(70戸) |
貸座敷29 料理屋23 旅籠屋16 木賃宿1 居酒屋1 | |
◆ | その他の商業など(219戸) |
荒物屋183 髪結14 小間物6 風呂屋5 小商2 太物2 仕立2 紺屋1 薬湯1 塗師1 桶屋1 下駄1 | |
◆ | 運輸(22戸) |
馬追21 運漕1 | |
◆ | 不明(1戸) |
合計508戸 |
『市民商業惣高取調』(新札幌市史 第6巻)より作成。 |