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開拓使の絵師たち

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 開拓使が設置されると、何人かの絵師が召し抱えられた。美術家としてよりも、測量・地図作成のためであった。中でも南部藩御抱え絵師川口月嶺の子月村及び月嶺の弟子船越長善が著名である。
 川口月村は四年二月に開拓使に採用され、翌月開墾掛に配置され、上川郡に出張もしたが、六月に免官となり、翌五年も六月から十一月まで官員として働いた。月村の残した絵図で著名なのは、後年『明治初年函館札幌間道中絵図』と名付けられた折帳、及び『北海絵図』と呼ばれる画集である。前者には「従丸山札幌眺望之図」があり、漠々たる広野の中に丸山村、市街、モレヘツ、コトニ、初覚(ハッサム)等の文字が書き入れられ、さらに開拓判官岩村通俊の漢詩、それにのち国学者となった肥塚貴正の和歌が書かれている。また『北海絵図』には本府・近辺村の図はないが「豊平川上流」、「鹿の湯」などが描かれている。
 船越長善は六年に開拓使に採用され、開拓地地図作製の中心人物であったが、十四年二月に病没した。札幌に関する作品としては北海道大学附属博物館蔵の「明治六年札幌市街之真景」(口絵参照)が最も著名であるが、その他にも「札幌六景之内渡島街晴雪」、「同官庁暮散」などがあり、絵画としても優れているだけではなく、当時の街の様子を生き生きと活写して、得難い史料でもある。

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写真-11 船越長善 渡島街晴雪(北大附属博物館蔵)