ビューア該当ページ

新聞縦覧所の設置

600 ~ 600 / 1047ページ
 すでに明治五年に函館に新聞発行の計画があり、同年十一月頃には東京に多くの新聞縦覧所が開設された。この状況を踏まえて開拓使札幌本庁開墾掛は、六年一月に縦覧所設置について伺を提出し、まず東京の設置状況を述べ、「当地ノ如キハ自今ノ急務(中略)僻遠ノ地内地日進ノ景況ヲ知ルモ自ラ遅滞セバ大ニ政事ノ利害ニモ関係候儀ニ付、当掛官員自費ヲ以」縦覧所を町会所中に設置したいとし、決裁を得た(筆算所一件 道図)。そして同年四月二十九日付「開墾局」の名で設置の触書を発し、閲覧時間を午前八時より午後四時までとした(市在諸達留 北大図)。
 しかしあるいは「掛官員自費」という方法が無理だったのであろうか、この縦覧所はさほど長続きはしなかったようである。次いで十二年四月二十一日付には「新聞売捌所報新舎」の肩書で、十年三月から十三年二月まで第一大区長であった重久安都男が「新聞縦覧所開設ノ義ニ付奉願候書」を提出し、「蔽屋ニ於テ」「無代料ヲ以テ」(大村耕太郎資料 参考書類 札幌市文化課)縦覧させたいと願い出ている。