明治十九年(一八八六)一月二十六日の左の内閣布告によって、北海道庁の設置をみた。
北海道ハ土地荒漠住民稀少ニシテ、富庶ノ事業未タ普ク辺隅ニ及フコト能ハス、今全土ニ通シテ拓地殖民ノ実業ヲ挙クルカ為ニ、従前置ク所ノ各庁分治ノ制ヲ改ムルノ必要ヲ見ル、因テ左ノ如ク制定ス
第一
函館、札幌、根室三県並北海道事業管理局ヲ廃シ、更ニ北海道庁ヲ置キ、全道ノ施政並集治監及屯田兵開墾授産ノ事務ヲ統理セシム
第二
北海道庁ヲ札幌ニ、支庁ヲ函館、根室ニ置ク
第一
函館、札幌、根室三県並北海道事業管理局ヲ廃シ、更ニ北海道庁ヲ置キ、全道ノ施政並集治監及屯田兵開墾授産ノ事務ヲ統理セシム
第二
北海道庁ヲ札幌ニ、支庁ヲ函館、根室ニ置ク
(公文類聚 官職門)
ここに全道の地方行政と拓殖興産の事業・事務を一元的に総理する北海道庁が設立されたのである。この機構こそ金子の想定するものであったが、ただ彼が称していた「殖民局」は、井上毅の意見によって「北海道庁」と改められた。設置と同時に、かつて開拓大判官の職にあり、黒田とあわずして免官後、佐賀県権令、工部省四等出仕、山口裁判所長、鹿児島県令、元老院議官、会計検査院長等を歴任して司法大輔の職にあった、高知県出身の岩村通俊を道庁長官に任命した。
写真-1 岩村通俊