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煉瓦の生産数

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 諸工場のうち最も規模の大きかったのは鈴木煉化製造所である。明治二十年は職工・雇人が六八人、営業収入金は九六〇〇円、支出金六〇〇〇円となっており(北海道庁第二回統計書)、三六〇〇円の純益を得ていた。ついで平煉化場(二五人、三六〇〇円、三〇〇円)、松島煉化場(三七人、二八六二円、三〇〇〇円)、滝田煉化場(二七人、三七〇円、三三〇円)となっている。
 職工数の推移からみると、二十三年には鈴木、平、遠藤の諸工場とも一〇〇人をこえており、このころが最盛期であったようである。これは当時北海道製麻工場、札幌麦酒会社麦芽工場など煉瓦づくりの工場が建設中であり、煉瓦需要の急増によるものとみられる(松下亘 札幌地域のレンガ史)。
 次に各種生産物の販売高をみると、二十七年の白石村所在の鈴木、遠藤、畠山の諸工場の販売高は表19のとおりである。
表-19 煉瓦工場生産物販売高(明治27年)

工場名

生産物
鈴木遠藤畠山
並煉化石804円402円-円
焼過煉化石336150
再度焼煉化石232.485
屋根瓦34802500
土管15625220
角土管5637.5
360
合 計5064.43199.5580
北海道庁第9回勧業年報』より作成。

 煉瓦石は主に札幌の諸工場、屋根瓦は札幌・小樽市街にて使用され、この年は札幌尋常師範学校の新築工事などがあり、特に屋根瓦の販売が多かったという。
 三十三年の製造高は大久保煉瓦場で煉化一五万本(価格一六五〇円)、鈴木煉瓦製造所は屋根瓦を主に生産し、その数量は一五万一一五〇枚(四五〇〇円)、また同村内に設置された分工場は煉瓦製造を主とし三二万本(三五二〇円)、同月寒分工場は屋根瓦八万枚(二六四〇円)と伝えられ、大久保煉化場と鈴木月寒分工場の製品は、当時月寒に営造されていた第七師団に供給されていたという(殖民公報 第七号)。
 以上の煉瓦、屋根瓦、土管などは札幌市街や周辺地域、あるいは小樽市街の需要に応じて今後も生産数に伸びを見せ、三十年以降急増していく野幌とならび、白石・月寒は特産地となっていく。