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実業教育

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 ここではこれまでに記述しなかった教育に関する諸問題のうち、主要なものについてふれてみたい。
 実業教育は前編の時期から重要視され、実行されてきたが、明治二十年五月の郡長会議における岩村長官の演説中、教育の簡易化を行うとした中で、内容は簡易、卑近なものにとどめ、教科は農夫、漁民に適切なものを選ぶとしたことから新たな意味が与えられた。この時期の新聞・雑誌等によりその若干を例示したい。
 まず二十二年に上・下手稲村で、「将来の為め」児童に本業を教えるとして上手稲・下手稲両校に「本年より小学校の実業科に養蚕を加へ該業を教授することに決し」(北海道毎日新聞 同年六月十三日付)、下手稲では教授に着手した。これによれば、おそらく従来からの科目(農業と思われる)にさらに養蚕を追加したものと思われる。二十九年には、札幌女子尋常高等小学校養蚕を実業科として週二時間実施することとした(北海道教育週報 九七)。また藤古小の『日誌』には、二十五年五月十日の項に「当校生徒種蒔、玉蜀黍馬鈴薯ヲ作ル」(学校教育関係 札幌村郷土記念館)と具体的に作物名が挙げられ、さらに二十九年には五月二十四日に豊平小で実業科として行っている田植が終了し、前年に比して面積を四倍に増加させたという(北海道教育週報 一〇〇)。
 これらの例の示すように、ほとんどの小学校で実業教育が行われたが、その趣旨は単に農業者となるための教育だけではなく、実業教育を通じて「高尚ニ過ギ」る内容の是正をはかることもあり、それは道庁初期の徹底した簡易科指定の時期が過ぎてもなお維持されたといえよう。