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社号変更建言

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 これよりさきの二十九年七月、同社白野宮司は、当時北海道の管轄省であった拓殖務省あて、「札幌神社社号改替の建言」を提出した。その要旨は、札幌神社は勅裁によって全道の宗社、開拓の守護神として鎮座した。しかし開拓地では移民たちが小祠を営み、多くは入地した「郡村里の名称」等を唱えている。この状況下では「北海ニ宗社タル開拓ニ守護神タル我官幣中社ニシテ、其社号ヲ呼フト同一視シ、札幌神社ハ札幌一地方ノ氏神ナルモノト誤認」(願伺届留三)されるとして、「北海神社」、あるいは「北門神社」への社号変更を願い出た。

写真-1 札幌神社社号改替ノ建言
(願伺届留 三 北海道神宮)

 これによれば、札幌神社の全道一一州総鎮守としての位置は、発足間もない明治新政府の、主として神祇官の思想によって定められたが、その開拓民への浸透は、まだ微弱であったということになる。それどころか、四十年に、当時の宮司が、道内各開拓地に札幌神社の参拝講社を結成させるべく道庁長官に上申した際も、いまだ北海道総鎮守として知られていないことを嘆じ、その周知が講社結成への大きな要因となっている(崇敬講往復綴 北海道神宮)。また、社名変更願を提出した札幌神社自体も、三十年に官幣大社昇格願を提出した際、「古来氏子場ノ区域戸口」として、札幌区・郡の戸口のみをあげていて、神社自体の態度も必ずしも一貫してはいない。そしてこのことは後述する同社崇敬講、祭典区の態様とも関わっているものと思われる。