同紙は三十一年十一月一日の創刊である。『道毎日』は、同紙を北海道「同志倶楽部の機関誌」(十一月九日付)としている。機関誌はともかく、同倶楽部と密接な関係をもって創刊されたことは間違いない。同倶楽部は同年八月に「本道道是ヲ確立スルカ為メ」(道毎日 八月二十四日付)に結成された団体で、当初は政治的要素も含まれていたようであるが、札幌警察署がその趣旨目的および運動等について、「集会及政社法」(二十三年公布)に抵触する疑いありとして幹部を召喚・尋問し、その結果同倶楽部は趣旨書を全文取消すなどして「本道拓殖に関する諸問題を研究調査する非政社的集会」(同前 十一月十一日付)となった。
『北海時事』は、こうした一連の動きの中で社主をのち代議士となった東武とし、吉植庄一郎、浅羽靖(しずか)が加わり、事実上の主筆に村上祐が就任し、十一月四日の北海道同志倶楽部大会で倶楽部員は購読の義務を負うとされたという(同前十一月九日付)。六頁建、購読料は前金で二五銭であった。
こうして札幌には北海道毎日新聞、北門新報および北海時事の三紙が鼎立することとなり、激烈な競争がくり広げられたが、その後の政治状況も加わって、三十四年九月に三紙が合同、『北海タイムス』の創刊に至ることとなる。