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町村制の整備

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 明治三十年(一八九七)、北海道区制とともに北海道一級町村制(勅令第一五九号)、北海道二級町村制(勅令第一六〇号)が公布され、「町村制」における北海道の適用除外に対応する法規が整備された。これによって北海道も基本的には市制町村制に依拠し、全国的な地方制度の中に位置づく方向性が明らかになり、札幌がその例外たりえないことはもちろんである。政府はこの時点で三勅令を一体的に運用し、開拓使以来残存させていた戸長総代人制を全面的に廃止し、新しい区町村制を創出しようと目論みたといえよう。
 しかし、北海道区制がただちに施行されなかった(一章)と同様に、一、二級町村制もまたそのまま施行されることはなかった。三十年区制が改正公布されると、一体的につくられた一、二級町村制の行方に関心が注がれたのは当然であろう。区制実現の目処は立ったが「町村制の事は現今予報する事能はさる」(道毎日 明32・8・21)状況の下で、「町村制の改正も同時に発表せらるへき事なりしも、内務省に於て種々異議ある等にて延期となり、従て其実施期日も明年四月一日よりと予定せられたるか、尚ほ聞く処にては目下道庁にても町村制に対し、一、二級の差等は其実、行はるへきものならすと云ふものあり。道庁、今日の同調査進行上、一、二級の区制(別)を廃せんとする方に傾き居りて、準備調査の結了する暁は、或は内務省に稟請、合併の事に至るへし」(道毎日 明32・8・30)と報道された。また「北海道庁に於ては町村制を実施せんとて、過般来内務省に交渉中の処、愈よ協議纏まりしを以て近日中に発表の筈なるが、其実施期は来る三十三年四月一日より実施することに内定し、先づ第一着に室蘭、宗谷、岩内、亀田、松前、檜山、寿都、増毛、釧路、根室の各郡村に限り施行し、将来は其町村発達の程度に準じ、漸次全道に実施するの計画なり」(道毎日 明32・9・3)とも伝えられた。
 こうした動きをみると、道庁では一級町村制のみを施行し、二級町村制は廃止し、戸長総代人制を修正存続させようと考えたらしい。そこで内務省はとりあえず一級町村制を三十二年区制に沿って改正することにし、閣議に「北海道一級町村制改正ノ件」を提出したのは三十二年十一月十六日のことである。その改正理由を「一級町村制ハ固ト区ニ亜キ、其ノ成立鞏固ニシテ資力豊富人智発達ノ地ヲ選ヒ之ヲ施行スヘキモノナルニ付、亦区制改正ノ旨趣(編注・区長公選、助役収入役設置)ニ依リ町村長ヲ公選ニスルノ至当ナルヲ認ム」(公文類聚第二四編)と述べている。これの閣議決定は翌三十三年二月二十一日で、勅令五一号として公布を見たのは三月二十二日であった。
 一方、二級町村制を廃止しようという道庁案に内務省や法制局は反対の立場をとった。そこで道庁はこれの全文改正をはかって、戸長総代人制による現状を踏まえた新しい二級町村制の早期実現をめざすことになる。そうしなければならない理由として次の七点をあげた。
一 総代人制度ノ不備ナルコト
ニ 町村費賦課徴収方法ノ不完全ナルコト
三 戸長制度ノ不完全ナルコト
四 地方税賦課ノ細目ヲ議決セシムルニ不便アルコト
五 戸長制度ノ町村ニハ地方税徴収ノ義務ヲ負ハシムルコト能ハサルコト
六 二級町村制ヲ実施スルモ町村ノ負担ニ影響ヲ及ホサヽルコト
七 二級町村制ノ実施ハ早計ニアラサルコト
(伊藤山華編北海道開拓意見書集 坤、小樽新聞 明35・1・11)

 内務大臣は三十四年十一月二十日、「北海道二級町村制改正ノ件」を請議し、二級町村が「可成簡易ノ方法ニ依ルヲ要ス。然ルニ現今ノ制度ニテハ一級町村制ト甚ダシキ差異ヲ見ス。随テ町村ノ実情ニ適セサルヲ認ム。仍テ努メテ其ノ組織取扱ノ簡易ヲ期シ」(公文類聚第二六編)たと説明している。この改正案は三十五年一月二十一日の閣議で決定し、二月二十一日勅令第三七号として公布をみたのである。