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大戦ブームから戦後恐慌

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 札幌商業会議所は、大正十三年(一九二四)に『世界大動乱以降札幌市ニ於ケル生活状態ノ変化及之ニ対スル施設ニ関スル調査』と題する報告書をまとめている。これは、第一次世界大戦期の物価、賃金、家賃上昇が顕著であったので、この原因や市民生活への影響を考察したものである。この報告書で用いられている札幌に関するデータはほとんどが『札幌商業会議所年報』に発表されているものであるが、全国各都市との比較や、企業内資料の分析が含まれるので興味深い。以下、この報告書に示された札幌における大戦ブームの様相を述べていきたい。
 まず報告書では、札幌区の一〇〇品目の大正三年(一九一四)を一〇〇とする価格指数を掲げている。大戦期の価格騰貴がピークに達する八年(一九一九)の価格指数の総平均は二五二である。分類すると穀類(一三品目)二三八、食料品(四五品目)二二五、衣料品(一七品目)二九七、薪炭油類(八品目)二九五、その他(一七品目)二七〇である。価格指数四〇〇以上のものは、干鯣、紡績糸、モスリン、柾、煉瓦、三〇〇以上四〇〇未満は、裸麦、干鮑、貝柱、数ノ子、秩父織(絹織物)、晒木綿、晒金巾、袴地、綿ネル、石炭(空知粉炭)、木炭、薪、銀南草、洋釘であった。繊維品、水産物、燃料が目立つ。またこれら高騰品目に札幌の生産物は少ない。札幌にとっては移入品である生活必需品に価格騰貴が著しかったわけである。
 札幌区ないしはその近郊の産品であろうと思われるものを列挙すると、小麦二〇六、裸麦三四〇、蕎麦二六二、大麦二九〇、大豆二四六、小豆一九七、地酒一七四、味噌二四八、醤油二六九、焼酎一二九、葡萄酒一九四、牛乳二二六、煉乳一八一、石材二五九などであり、この単純平均は二三〇となる。穀類や食料品といった農産物を多く含むことから、大戦ブームの価格騰貴は相対的に小さかったとみてよいだろう。味噌、醤油、酒類などの醸造物もさほど騰貴していない。札幌では生産物の価格騰貴を上回って移入品の価格が騰貴したわけである。
 このような価格騰貴は、とりわけ俸給生活者を直撃した。札幌の主な官公署、企業では大正六年度頃から臨時手当の支給を開始した。表5は、六年度から八年度にかけて札幌区内九官庁・企業が支給した臨時手当の給与年額に対する比率を示している。平均で六二・八パーセントから九五・七パーセントになるが、注目すべきは給与額の少ない階層ほど高い比率となるように支給されていることである。一律に給与に比例して支給したのは、商業会議所、今井商店であり、これらに次いで累進性が小さいのは鉄道局である。これ以外の事業所は、給与階層が低くなるにつれて累進的に臨時手当の率を上げているのである。こうした「社会政策」的配慮がみられるのもこの時代の新しい傾向であった。
表-5 主要官庁・企業の臨時手当(大6~8年度)
月俸年俸
20円30円40円50円95円1500円
札幌鉄道局93.8%93.4%93.4%93.4%77.9%67.5%
北海道庁119.2113.1113.1108.0102.864.6
札幌税務監督局90.889.588.880.877.964.6
札幌区役所76.767.863.360.755.6
札幌商業会議所35.033.035.035.0
北海道拓殖銀行75.057.557.540.040.022.5
拓殖貯金銀行132.3122.3119.9119.1118.365.1
今井商店80.080.080.080.080.080.0
大日本麦酒158.3137.2126.7126.783.375.0
平均95.788.586.582.779.562.8
1.月俸,年俸額に対する臨時手当支給額の比率。単位は%。
2.札幌商業会議所世界大動乱以降札幌市ニ於ケル生活状態ノ変化及之ニ対スル施設ニ関スル調査』(大13)より作成。

 さて大戦ブームと戦後好況で過熱した日本経済は、九年三月に戦後恐慌に陥り、これ以後不況過程に突入する。札幌区の物価も九年二月ないし三月をピークに以後低落を続けた。そこで、『札幌商業会議所報』各号により、戦後恐慌における主要商品一二品目の価格をみてみよう。最低価格の九年二月の価格に対する下落率で表示することにする。まず最低を記録した月がもっとも早かったのは燕麦(九年七月)で下落率は四六・四パーセント、次いで小麦(同年九月)で下落率は四八・七パーセントであった。翌年に入り小麦粉(十年一月)三三・三パーセント、裏絹(同月)六五・九パーセント、大豆(同年二月)六九・八パーセントであった。同年三月には綿糸、小豆、青豌豆がそれぞれ七三・六パーセント、六四・二パーセント、五三・八パーセントの下落率であった。これ以後は味噌(同年六月)三一・六パーセント、醤油(同年八月)二八・四パーセント、大麦(同年九月)六二・八パーセント、晒木綿(同年十二月)六〇・七パーセントとなっている。この調査は、調査対象となった商店名が明記してあり、醸造物は一柳商店と福山商店、雑穀類は塚島商店、小麦粉は日本製粉札幌支店である。裏絹、晒木綿は今井商店であり、小売物価とされている(札幌商業会議所報 16~22号、大9・5~大11・8)。
 札幌における戦後恐慌の価格下落の特徴は、大豆、小豆を除く雑穀類、醸造物といった札幌区ないしはその近郊産品が価格下落の底をむかえるのが早く、しかも下落率は相対的に小さいということである。繊維品が長期にわたり大きな下落率を示したのと対照的である。
 戦後恐慌期の会社数の増減をみると、大正九年が新設三七、解散一四、差引二三の増、十年は新設一八、解散二二、差引四の減、十一年は新設一七、解散八、差引九の増であった(札幌商業会議所報 24号、大11・10)。これらを通じてみると戦後恐慌の影響は比較的軽微であったといえるだろう。