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市街馬車鉄道の敷設計画

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 明治三十五年五月、札幌石材合資会社社長藪惣七は、石材を運搬しようという目的で、平岸村字穴の沢より山鼻村を経て札幌区南一条西一一丁目を横断する馬車鉄道の敷設を道庁へ出願した。道庁では、この鉄道が沿線に障害を与える心配があるか札幌区に諮問してきた(北タイ 明35・5・7)。同月十五日臨時区会で一度議論され、同月二十八日区会で追加議案として、馬車鉄道敷設願が議案として提出された。それによると、路線は穴の沢から山鼻村を経て南二条西一一丁目筋を右折し、西一〇丁目を左折し、大通北側を経て西七丁目筋北六条鉄道線までである(北タイ 明35・5・29)。しかし区会では、札幌区の将来構想に関わって電気鉄道敷設の際の障害になるなどの慎重論、反対、推進など様々な意見が出た(小樽新聞 明35・5・31)が、ちょうど区長の交代期でもあったため、区会では新区長の意見を聞き、また沿道住民の意向を確かめた上でさらに提議することにして、撤回した(北タイ 明35・5・30)。常設委員会でも、賛成意見に対し馬車鉄道が区の美観を損なうなど反対意見がでて、さらに審議することにした(北タイ 明35・6・7)。

写真-2 停車場通を走る市街馬鉄