明治三十九年七月、宮城昌章前豊平村長他数名が、札幌郡平岸村字石山から豊平村を経て札幌区北五条西四丁目までを本線とし、月寒第二五聯隊兵営までを支線とする、馬車鉄道敷設計画を内務大臣に出願した。その目的は、貨物および一般乗客の運搬である(北タイ 明39・7・17)。会社は三十九年十二月、北海道石材株式会社として発足した(第一九回北海道庁統計書)。
この計画は、札幌区に関係しない部分は、三十九年十月中許可を得て、十二月までに字真駒内御料林境界より字石山に至る約三マイル半の専用鉄道を敷設竣工した(北タイ 明40・2・25)。札幌区内に敷設する分については、札幌石材馬鉄同様に四十一年四月の常設委員会で、軌道敷設につき公益上の支障有無について諮問された。この後九月十二日の区会で、議員協議会の決議案に字句訂正して答申することになった。同日議員協議会では、「馬車鉄道は主として区内枢要の道路線に貨物を運搬する目的にして市街の体裁を損する」ことに加え、道路保存上軌道の設計が不備でもあるため不許可を決議した(北タイ 明41・9・13、区会決議録 明41)。その後、区内への馬鉄敷設許可を得て十二月に融雪直後から軌道敷設工事を開始しようと、札幌区へ起工申請を行った。この時には区会内での反対意見を顧みて、区の人口が一〇万人に達したときには電気鉄道に取り換えるという条件をつけて、区から許可を得ようとした(北タイ 明43・12・14)。同会社は、大正元年分を掲載している北海道庁統計書(第二四回)までは、その会社の一覧表に記載されている(第二四~二五回北海道庁統計書)。