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女子事務員

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 明治末から大正期にかけて、著しく増加した職業婦人の第一を占めたのが女子事務員である。札幌逓信管理局(札幌郵便電信局の管理部門)、札幌鉄道管理局北海道庁北門新報社北海タイムス社といった官庁や銀行・企業で、女子事務員が大正期中頃には三〇〇人くらい働いていた。
 女子事務員の仕事の内容は、計算、記入、伝票整理、調査会計などのごく簡単な仕事であったようで、男子の補充に試みに採用したところ良好だったからのようである。
 札幌郵便電信局では、前述した電話交換手や通信生のほかに、郵便部門でも女子事務員を採用、しかもそれは交換手誕生の翌三十四年と早かった。まず為替調査見習生として四人を採用したところ、成績きわめて良好なのでそのまま四人を事務員に登用した(北タイ 明34・10・8)。その後も札幌逓信局では女子事務員を採用してゆき、大正八年七月段階では、調査、経理、管理、庶務、工務等の諸課に四〇人余が働いており(北タイ 大8・7・23)、十年二月では八〇人余になっていた(北タイ 大10・2・18)。これは前述したように第一次世界大戦の影響で男子が企業や銀行方面へ就労したため、その補充に女子が充てられたからであった。
 ここの女子事務員の採用条件は、大正十年の場合、一五歳以上の高等小卒生で身体強健な者とあったが、実際尋常卒生の一五歳未満の者も能率上相当発達をあげられることから採用された。初任給は日給四三銭、手当を合わせると一カ月一八円くらいになり、当時最高で日給八〇銭であった。十年当時、調査部には書記補つまり判任官が三人もおり、二〇円以上八五円以内の給与を得ていた。また事務員には年功加給制があって、勤続年数に応じて支給された。雇員は一五歳以上二四歳で平均一七歳、判任は二〇歳以上二七歳で、勤続年数のもっとも長い者で一〇年半、平均一年と短い。この理由として、二、三年も勤務すると他の官庁や会社が優遇してくれるから転職するのでは、と新聞は報じている(北タイ 大10・2・12)。
 一方、札幌鉄道管理局の女子事務員は、明治三十九年十月北海道炭礦会社の手を離れて国有鉄道になった時、すでに旅客事務を取扱う女子事務員が五人もいた。その後も引続き採用し、次第に数を増やしていった。大正八年段階では、経理、運輸、庶務、工務、工作の諸課に一三〇人の女子事務員が働いていた。女子事務員は雇員と呼ばれ、採用条件は満一五歳以上の高等科卒業程度で、初任給日給三五銭、高女卒業生で四四銭、補習科卒業生で四八銭となっており、当時最高で七五銭であった。その上五割の手当と年二回の賞与もついた。しかも、雇う側は駅員同様女子事務員二人をもって男子一人分とみていたようで、賃金に差を設けていたことはいうまでもない。おもな仕事内容は、簡単な計算、統計等の事務であり、綿密な仕事をするので重宝がられたが、大方が結婚前の腰掛け程度で、人の出入りが激しかったようである(北タイ 大8・7・20)。
 それは、大正十年の新聞の「各方面の札幌職業婦人」といったシリーズ中の、札幌鉄道管理局の男女事務員の力量の比較調査データにも現われている。それによると、小学校卒の男女では女子の方が良好であるが、高女卒と中学卒とを比較すると、女子は一定レベルまでは向上するが、その期間が短いという。勤続年数で長くて八年、短くて一年、平均二年という具合で、ようやく一人前になると退職してしまうという(北タイ 大10・2・7)。当時の女性が平均的に持たされた職業観・結婚観を写し出しているといえよう。
 同じ官庁でも、北海道庁がはじめて女子事務員を採用したのは大正七年である。やはり景気良好の折から、男子が待遇の良い企業・銀行へ就労してしまったことから、男子の補充に採用が始まったという皮肉なケースである。
 七年十一月、道庁会計課では七、八人を日給四〇銭から八〇銭くらいで、高等小卒業程度(算術に長けたもの)の女子事務員を募集した(北タイ 大7・11・23)。その結果二六人が応募し、試験のうえ十二月七日一一人(斉藤定、高畠いま、斉藤秀、佐藤操、阿部はる、小川とよ、桑木きみ、郡司あい、宮本みさを、斉藤香代ほか一人)に辞令交付した。この時の試験問題は、高等女学校入学試験程度で、そろばん、筆算、書取りがあり、成績はきわめて良好で、「男におよばぬ筆蹟」の者もいたという。応募者の内訳は、高等女学校、裁縫女学校卒業生で、なかには小学校教員を二、三年経験した者も二、三人いたほどであった。試験執行者は「これを押しても女子の能力なるものが伺われる」と、驚きを示している。採用された一期生は、統計、官房に配属され、おもに公文書の浄写を担当した。志願の動機を調べてみると、「弟の学資金の一端の補助、家の生活費」がおもで、自分のためではなかった。しかも道庁に勤務することは、鉄道局などと比べ勤務時間も一定しているし、評判も良かったからのようである(北タイ 大7・12・8)。
 翌八年七月には、女子事務員は二五人に増え、官房、地方、河川等の諸課に事業生、雇員の身分で見習補助、浄写、図面の謄写、計算、受付事務等いたって簡単な仕事を担当した。年齢は一七、八歳から三三、四歳で、年齢制限がなかったのが特色である。給与は課によって一定してないが、日給三五銭~五五銭、これに五割の手当と年末の賞与もついた。採用も試験制度を廃止し、縁故がなくても履歴書さえ提出しておけば、欠員があり次第採用する方針に変更した(北タイ 大8・7・16)。試験廃止の理由は不明である。
 道庁女子事務員の数は年々増加し、九年三月段階では表24のように三七人が各部門で働いていた。庁内の雰囲気も変化し、トイレも「男子用」「女子用」と札を下げ、食堂も女子用が一隅に「区別」されていた。しかし、執務をするには男女机を並べ「談笑頻なり」という具合であった(北タイ 大9・3・10)。
表-24 北海道庁女子事務員数と待遇(大正9年3月現在)
部 課人数仕 事 内 容給 与
内務部 18人初任給日給35銭,半年後40銭.
42,3銭が最も多い.最高月俸18円.
 地 方 課 (4)統計事務3人,文書受付1人
 会 計 課 (9)証票伝票
 教育兵事課 (1)文書の受付
 勧 業 課 (4)文書の受付
土木部 11人
 道 路 課 (2)
 土地改良課 (2)文書の受付,製図の複写日給30銭~40銭.
 河 川 課 (4)
 港 湾 課 (3)
拓殖部 8人
 殖 民 課 (3)日給45銭~55銭.
 土地整理課 (4)
 林 務 課 (1)
合 計 37人 
1.( )内数字は内訳。
2.『北海タイムス』(大9.3.10)より作成。