新しい教育会図書館は縦覧室、第一図書庫、第二図書庫を備え(図1)、また、同年十一月には北海道師範学校から図書三九六七冊が払い下げられ(同前 第九四号)、蔵書数は飛躍的に増加した。これに伴って閲覧者も増加し、三十四年度の一日平均の閲覧者数は前年度と比較して四倍の五・七人となった(表7)。しかし、閲覧者は「教育関係者及学生」に限られ、閲覧する図書も「教育地理歴史理科等過半ヲ占メ」ていた(明治三十四年度北海道庁学事年報)。こうした傾向はその後も変わらずに、三十八年の時点でも閲覧者の大半が学生と教員検定試験志願者であった(小樽新聞 明38・8・9)。
図-1 北海道教育会附属図書館平面図(北海道教育雑誌 第93号)
表-7 北海道教育会附属図書館統計 |
年度 | 蔵書冊数 | 開館日数 | 閲覧者数 | 1日平均 |
明32 | 1,077冊 | -日 | -人 | -人 |
33 | 4,640 | 144 | 200 | 1.4 |
34 | 4,849 | 291 | 1,659 | 5.7 |
35 | 5,936 | 286 | 2,476 | 8.7 |
36 | 6,430 | 302 | 3,310 | 11.0 |
37 | 6,555 | 295 | 1,790 | 6.1 |
38 | 6,660 | 297 | 1,331 | 4.5 |
39 | 6,754 | 297 | 1,681 | 5.7 |
40 | 6,804 | 290 | 813 | 2.8 |
41 | 6,854 | 298 | 772 | 2.6 |
42 | 6,524 | 231 | 437 | 1.9 |
43 | 4,586 | 304 | 664 | 2.2 |
44 | 4,999 | 308 | 1,184 | 3.8 |
大 1 | 5,026 | 303 | 1,235 | 4.1 |
2 | 3,137 | 263 | 1,076 | 4.1 |
3 | 3,357 | 259 | 601 | 2.3 |
4 | 3,772 | 306 | 42,036 | 137.4 |
5 | 3,607 | 332 | 37,579 | 113.2 |
6 | 3,607 | 252 | 37,978 | 150.7 |
明32~41年度は『北海道教育雑誌』『北海之教育』『北海道庁学事年報』,42年度以降は『札幌区統計』『札幌区統計書』『札幌区統計一班』より作成。 |
教育会図書館の閲覧者数は表7から明らかなように、三十六年度をピークに減少の一途をたどった。三十七年一月の評議員会で、同会の今後の経営のあり方を全般的に協議したが、そのなかに財政上の理由から教育会図書館を札幌区に寄付する案が含まれていた(北海道教育雑誌 第一三三号)。同会では経営の改善のために三十六年度からは一般の区民に限って縦覧料(閲覧料)として、一人に付き一回一銭を徴収することにした。縦覧料を徴収することは「図書館令」第七条の規定で認められていた。この一銭という金額は当時の新聞(小樽新聞)の一部当たりの購入代金の半額に相当する。しかし、縦覧料を徴収してもそれは微々たるもので、三十六年度でも二二円二四銭に過ぎなかった。さきの札幌区への寄付案は採決の結果、一票差で否決された(北海道教育雑誌 第一三三号)。教育会図書館はまさに同会の「お荷物」となっていたのである。
同会は三十九年十一月の評議員会で、経営改善の方策を検討するために、「本会前途の経営に関する調査委員」として湯原元一(北海道庁第二部長)、岩谷英太郎(北海道師範学校教諭)ほか九人を委嘱した。教育会図書館の経営もその検討の対象となり、翌年二月、次のような改善策が示された。第一に休館日を廃止し、夜間開館を実施すること、第二に図書購入費は毎年三〇〇円以上を支出することなどである(北海道教育雑誌 第一七〇号)。しかし、これらの改善策は何ひとつ実行されず、課題を先送りするだけであった。時期が少し後の史料になるが、教育会図書館の開館時間は午前八時から午後四時まで(日曜日は午前のみ)、休館日は毎週月曜日と大祭日であった(北タイ 明44・3・1)。
このように経営状態が思わしくない理由は、教育会の附属図書館という性格にも規定される面もあるが、「小供の読物や新刊物が少なき為め多数の人々を集むる能は」ずと指摘されたように(同前)、蔵書構成が区民のニーズに即していなかったことが挙げられる。もちろん、このことは七〇円(明43)という図書購入費の少なさとも関係する。また、「縦覧設備等の完全ならざる」こともその理由のひとつであった(北海之教育 第二二五号)。