寺院と仏教団体では、戦時中に軍資金、軍人遺家族・傷病兵の救護などのために、様々な献金活動を行っていた。新善光寺檀徒は毎年一月に、市中を念仏・御詠歌を唱えながら練り歩く寒修行を行っていたが、三十七年一月の寒修行では、得た喜捨を開戦の折には軍資金に献納する予定であったという(北タイ 明37・1・21)。すでに開戦必至の状況であった。
開戦後では各種の戦勝祈禱会にて献金の募集が行われていたが、各宗仏教聯合会では四月に軍事保護会を組織している。これは各寺院の檀信徒を会員として毎月五銭を徴収し、月末に陸海軍の恤兵部、赤十字社に献金、または軍人遺族救護費に充てるものであった。各宗仏教聯合会が主催する仏教演説会、戦死者追吊会でも献金募集がなされ、同会による献金はたびたびであった。
また、以下のような各寺・仏教団体の動向が報道されている。中央寺住職の三沢松堰は毎朝七時から二時間、随僧九人と「恤兵献納托鉢」の旗をたてて読経しながら托鉢して歩いていた(以下北タイ 明37・6・23)。経王寺の正信講の婦人たちは寒三十日間題目修行で区内を廻り、それにより得た一〇円を陸軍恤兵部に献金(明38・2・15)。軍人家族救護では、西本願寺別院内の札幌婦人教会では、会員からの醵出金五〇円を北海道尚武会に寄付(明37・4・5)。豊平村の日蓮宗和合講では講費の節約をなし、毎月の積立金の中から三円を同村出征軍人家族救護会へ寄付(明38・2・22)。中央寺の吉祥講員十数人の老婦人は、彼岸中毎夜市中を托鉢して得た一五円を区内出征軍人遺族・家族の困難なものへ寄贈(明38・3・30)。
その他に、軍隊慰問、北海仏教青年会婦人部での毛糸靴下一〇〇足、慰問袋五〇袋を恤兵部へ寄贈(明38・6・22)など、多種多様な軍事支援が行われていた。