この時期は数々の仏教団体が創設され、仏教教理の宣布、慈善活動、修養などが行われていた。
まず大谷派では明治三十四年十月に、「愛国護法を主とし専ら青年子弟をして仏教の真理を研究し、徳義を養成」(北タイ 明34・10・22)するために北海仏教青年会を組織し、十一月二日に発会式をあげた。同会の目的は「仏教の真理を発揚し国民の一致力を鞏固にし皇道の宣揚と仏教の振興とを謀る」ことがうたわれ、事業としては演説講話、慈善教育、図書従覧、雑誌発刊の四種とされている。同会の創設は、「吾北海道札幌の如きは本道屈指の都会にして青年学生の多き千已上に達し殊に本道仏教の中枢たり。この地にして今に斯会の設けなきは深く遺みとする」とされて設置されたものであった(北タイ 明34・10・26)。このように、札幌という「仏教の中枢」都市に創設が必要とされた点にあったことは、札幌の都市的位置付けを考える上でも重要な問題を提起しているといえよう。
また、四十二年に南三条西一丁目の大谷派説教所に札幌闡教会(せんきょうかい)が創設されている。
本願寺派では、西本願寺別院内に設置されていた夜学中学会に、仏教青年会が四十二年に設立されている。夜学中学会は、進学できない商工徒弟に中等教育を授ける目的により、札幌中学校教諭の吉田兎喜造などが中心となって四十年九月に創立したもので、他の教諭も協力していた(北タイ 明44・11・25)。主に講話・演説会を開催していた。仏教青年会は大正元年九月に青年修養会と改称する。
北八条東二丁目の本願寺派説教所では、四十一年に札幌仏教同志会を設立し、毎月十九日に講演会を開いていた。
曹洞宗では、中央寺内に東京仏教団札幌支部が置かれ、三十六年十月十日に発会式を行っている。また参禅会も開かれるようになり、四十四年一月から毎月二回ずつ禅学講話会を開催することにしている。
日蓮宗では、経王寺に正信同盟団札幌支部が設置されていた。
法華宗では、北三条東三丁目の本妙法華宗教会所で、四十五年四月二十八日に会員二〇余人により日蓮聖人研究会が創設されている。
その他に、四十年四月に北海道仏教護法会、同年六月に仏教求法会などが創設されている。また、市民組織の座禅会として、札幌摂心会が四十二年十月に設立をみている。