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地区の仏教青年会

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 札幌市内での地区を単位とした仏教青年会の組織もみられるようになる。最初は大正十一年二月十四日に、北九条西二丁目の大谷派説教所にて発会式を行った札幌鉄北仏教青年会(会長・宮村朔次)である。十三年一月二十日に開かれた仏教普及活動写真大会には八百数十人が参会し、兼ねて開かれた総会では札幌仏教青年団と改称することを決議している(団長・松村植三郎)。同じく鉄北では昭和十一年九月十二日に北八条仏教青年会が、北八条東三丁目の本願寺派説教所で発会している。前者は大谷派、後者は本願寺派の組織であり、説教所附属の組織でもあったようである。
 諸町村でも仏教青年会が生まれている。白石村に明治四十二年に白石聯合仏教青年会が創設されている。同会は宗派をこえた組織であり春秋の総会、毎月例会での講演、時宜の追悼会を行っており、白石村には厚別の智徳寺(大谷派)にも仏教青年会がつくられており、北郷には北郷仏教会北引接寺(天台宗)の児童日曜学校(大11・8創設)もあり、仏教活動は非常に活発であった。豊平町には大正十一年に親鸞主義をとる月寒阿修羅会本願寺派福住寺に創設されており(北タイ 大12・11・27)、白石聯合仏教青年会月寒阿修羅会とが連合して大正十三年一月から仏教大講演会も催されるようになっていた。福住寺には昭和十二年一月二十日に月寒仏教青年会も組織されている。
 手稲村には昭和九年九月十八日に、仏教によって「この非常時に際し日本精神を高調、皇道を宣揚」することを目的とする上手稲仏教青年会が発会していた(北タイ 昭9・9・20)。篠路村の烈々布には真宗の門徒である富山県からの移住者が多かった。それ故に青年会でも集会所である倶楽部にて法恩講を催し、その後に追悼会や総会を開いており(北タイ 大8・1・31)、青年会そのものが仏教青年会の役割を兼ねていた。
 北海道帝国大学には大正十三年二月十八日に大谷派の真宗青年会が発会しており、昭和十二年一月二十四日には北大仏教青年会が創設されていた。
 以上の仏教青年会は、会の盛衰が甚だしい点があり、廃会や活動休止などはほとんど不分明である。また、会員年齢も壮年にまたがっている様子であるが、仏教を核とした青年会に多くの青年が集まって信仰や修養を深め、「同朋」を広げていったことは注目していいであろう。