ビューア該当ページ

市民との接点

1099 ~ 1101 / 1147ページ
 満州事変の勃発を、札幌のキリスト教界は「国家危急の際」と受け止めた。札幌基督教聯盟は、翌七年六月十九日の礼拝を統一説教題「基督教徒愛国の叫び」で行うことを決め、さらに同二十四日から三日間、札幌基督教徒愛国運動集会を開催した。またこれに先立って組合教会では、対時局信徒懇親祈禱会を開催している。これらの集会は、クリスチャンが各分野で「社会生活合理化の為に己が芸能を捧げ、他の各部分と最善の協調をなして進むべきである」(椿真六 世界救済の大案 北光 第二一九号)という趣旨のものであった。教会員に社会問題を喚起しようとするのが目的で、愛国心の強調も戦争の鼓吹に結び付けるものではなかった。それだけに満州事変による危機感も一時の衝撃にとどまった。
 日中戦争までは、札幌のキリスト教界も活発な活動が続けられていた。神の国運動も昭和七年、元同志社総長海老名弾正が来援したほか、九年四月の連続講演会まで続いた。八年には札幌基督教聯盟が主導する札幌廃娼廓清会にメソヂストの高杉栄次郎が会長となって、廓清運動に取りかかろうとしていた。十年には同聯盟は道庁・札幌市役所と共催して、国際キリスト教運動の指導者ジョン・R・モットを迎えての講演会を開催した。
 カトリックでは、昭和七年の春と秋に札幌天主公教会などの青年たちによる戯曲「切支丹の最後」を、今井記念館や市公会堂で連続上演した。さらに九年には札幌市内のカトリック三教会により公開のクリスマス大会を市公会堂で開催した。入場者が一四〇〇人で、博愛事業に純益を捧げた。また札幌には、金融恐慌や大凶作が重なり、生活の場を失った困窮者が全道から集まっていた。豊平川の河原には、通称「サムライ部落」と称する掘立小屋が建ち並んでいた。札幌天主公教会の同胞会は、フランシスコ会修道士ヒラリオ・シュメルツ(帰化名・平世修明(ひらせしゅうめい))の指導の下に、前述の無料治療所を設けていた。ここには産科もあったが、夜間には無料宿泊所にもなった。昭和十年には託児所を設け、さらにサムライ部落の中央に託児所を建て、部落の子供三、四十人を無料で預かっていた。東橋小学校(あづまばししょうがっこう)前には授産所を設け、軍手・軍足の工場を建設し、人身売買にさらされていた女性の自立を図った。一方、天使院も授産所を設け、印刷製本・刺繡技術を取得させた。十四年、天使院は社会事業団体として公認され、翌年紀元二千六百年記念行事として託児部(天使の友愛児園)を開設した。

この図版・写真等は、著作権の保護期間中であるか、
著作権の確認が済んでいないため掲載しておりません。
 
写真-8 札幌天主公教会(カトリック北一条教会)同胞会無料診療所と平世修明