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助役と収入役

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 市が発足してしばらくの間、市長が選任されなかったため、新しい市役所の機構も作られなかった。市長臨時代理とそのあと職務管掌者のもとで、区制時代の機構を臨時に運用し、新市長の就任を待った。高岡初代市長は、大正十二年十二月二十八日の市役所御用仕舞にあたり、その間の状況を職員に次のように述べている。
本年二月に私は当市長の職に就ました。時の市役所―市の状態―即ち市政状態は何うであった乎と見ますると、市の行政―自治体としての―市政状態―機関といふものは極めて不完全―不備の状態であったので、市会はありましたけれども、執行機関の方を見まするといふと、市長を始め助役他の主事の大部分といふものは職務管掌若くは嘱託に依って充たされて、辛じて市の行政が行なはれて居ったといふやうな訳であったのであります。爾来夫々助役を初め部下の充員を行なひ、又一面には市の処務規程といふものがなかったのでありますので、それを新たに制定して部課を定め、又助役以下の権限を明らかにして、さうして事務の向上を図ることに力めたのであります。幸に諸君の一致協力に由りまして、事務も逐次改善に赴きつゝあるのは、私の最も諸君に謝し、且つ欣ぶのであります。この間市会に於て、議員より事務状態等に就て質問があった場合に私が陳べたやうに、事務の改善と云って見た所で如何程改善されたといふことを計る寸尺といふものが無いのでありますから、明らかに何尺とか何寸改善が行なはれたといふことを具体的に言ふことは甚だ難かしいのであります。その時に申しました如く、税務の如き事務は昨年に比べて、著しく改善が加えられたことは数字の上に於て之を現はし得る、納税の人員の如き期限内に納めたるものは昨年に比べて数倍多くなって居る次第で、之等は事務改善の一例に過ぎないのであります。其他の事務としては夫々着々改善されつゝあることを私は喜ぶのであります。併し乍ら之で以て恐らく満足すべきものではありません。倍々改善に改善を加ふることに努めまして、事務を完全に行なふことに努力しなければならぬが、之は諸君の協力と努力に俟たなければならぬのであります。
(札幌市公報二七 大13・1・10)

 市制では市長のもとに助役収入役が置かれた。高岡市長就任にあたり鈴木健次郎(道庁嘱)が大正十二年二月十二日助役職務管掌を命ぜられ、専任者発令までの空席を補ったが、同年四月二十八日になって、初代助役として増田彰が就任し、昭和二年再任、四年関崎不二夫(二代)と替わった。関崎は八年に再任され、十一年病気退任して三代伊沢広曹となる。伊沢は二期目を満了し、四代平佐武美が十九年二月二十五日就任し、二十一年五月二十四日までその職にあった。
 収入役は区制期の石原孝信がそのまま臨時代理者となり(大11・8・1付北海道庁告示五九〇号)、翌年十一月十四日付で収入役に発令され、再任されてのち昭和六年任期満了となったが、翌年謎の死を遂げ、公金費消が問題になった。空席の間松本菊重収入役代理者になり、さらに小島清がこれと替わった。この混乱のあと二代目収入役として七年三月十四日本庄義孝が就任、十一年には三代目遠藤喜四郎と替わった。遠藤は再任されて十九年任期満了となり、同年四月二十三日鈴木秀直が四代目となり、二十七年四月二十三日までその職にあった。
 区制で置かれていた収入役代理を市制では副収入役と呼んだが、札幌市ではこれを置かなかった。