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円山町の誕生

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 藻岩村では、昭和十三年二月二十六日に飯田誠一村長から村議会に対して、藻岩村円山町と改称して町制を施行する件が提案され、満場一致で可決した。藻岩村では昭和六年十一月にすでに一万人の人口を超え、市街を形成する連担戸数も一七〇〇戸、人口九〇〇〇人に達していたことから町制施行を申請していたのであったが、その折には許可とならなかった。おそらく財政上の理由や「自治観念」の面で不認可となったとみられる。十三年の申請に当たって「理由書」では、以下の理由を挙げて町制施行の認可を同年三月四日に道庁へ要請している。
(藻岩村は)昭和十二年末現在ニ於ケル戸数三千六十三戸、人口一万五千七百二十六人ニ達ス。全村ノ面積四十六平方粁(キロメートル)ナルヲ以テ一平方粁ニ付、実ニ三百四十一人強ノ人口ノ密度ヲ有ス。併シテ役場所在地ノ円山村ハ連担戸数二千六百六十三戸ニ達セリ。加之(かてて)年々激増ノ趨勢ニ在リ。市街ノ体裁ハ商賈櫛比シ殊ニ近年巨額ノ工費ヲ投シテ道路網ノ計画完成シテ以来特ニ建築物、商店等所謂都市トシテノ街衢ヲ備フルニ至レリ。
(円山町 許可認可関係書類綴)

 藻岩村では三〇〇〇戸の戸数、一万五〇〇〇人の人口が突破したこと、また町の要件となる市街地の連担戸数が二六六三戸であったことにより申請したものであり、町制施行により「更ニ町繁栄ノ上ニ重大ノ効果ヲ齎ラスヘキ」としている。なお、藻岩から円山への改称変更の件であるが、藻岩は円山、山鼻村が併合した際に採用された名称であり、「元来斯ル字名モナク又村名モナク、ソレハ単ニ山名アルノミ。却テ円山村ハ明治三年来歴史的ノ村名ニシテ現在村構成ノ主体モ円山ニシテ、今日ニ於テハ藻岩村トシテ通スルナク、一般円山村ト称セラレ居候」と述べ、「歴史的ノ村名」で「村構成ノ主体」である円山に変更する趣旨が記述されている。
 町制は十三年四月一日より実施の予定であったが、許可に当たった道庁では町制施行が札幌市との合併問題に影響がないかを懸念した模様であり、飯田町長は「市の併合には何等支障なき旨」の意見書を提出したので、四月一日に認可となり十五日より実施となった。当時の円山町の人口は約一万六〇〇〇人であり、支庁管内三町のうちでは江別町に次ぎ豊平町をしのいでいた。この日には飯田町長を先頭に三五〇〇人の町民が「愛国行進曲」を高唱しながら、札幌神社に参拝して昇格奉告祭が行われ、その後に円山小学校にて祝賀会が催され「円山町」の誕生が盛大に祝われた(北タイ 昭13・4・16)。

写真-8 藻岩村円山町の町村長