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北部軍司令部

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 札幌には徴兵召集業務を行う札幌聯隊区司令部(中央区北1西10)、軍の警務を担当する札幌憲兵分隊(中央区北1東1)、軍馬の飼料調達を行う陸軍糧秣廠札幌派出所(東区苗穂町)が前期から引き続き所在した。豊平町陸軍歩兵二五聯隊も引き続き所在するが、本隊が満州に派遣されたあと留守部隊において昭和十四年歩兵第二一九聯隊の編成下令があって中国河南省に派遣され、のちニューギニア方面に配置換となり壊滅的損害をこうむった。さらに十五年留守隊において歩兵第一二五聯隊の編成下令があり、第八八師団に加わって樺太に移駐し、一部は九里飛行場の建設にあたった。樺太ではソ連越境軍と戦闘を交え、多くの損害をこうむった。なお本隊は満州から帰還してのち、十五年樺太混成旅団を編成することになり、上敷香に移駐した。

写真-19 札幌聯隊区司令部

 日中戦争以後、札幌市と豊平町に相次いで軍事機関が開設された。すなわち、十二年海軍地方人事部、十三年陸軍被服本廠派出所、十四年兵器本廠事務所、そして十五年にいたって北部軍司令部の設置をみ、十八年には北部憲兵隊司令部が新設された。
 北部軍司令部は、東部、中部、西部の各軍司令部とともに新設されることになり、八月一日留守第七師団長に開設準備が下令され、十二月二日編成を完了、豊平町月寒を司令部所在地とした。その管轄は北海道、樺太、千島のほか青森、秋田、山形、岩手四県を含み、管区内の諸部隊の動員、教育、防衛を担任し、中央の訓令によって対ソ連作戦準備にあたった。しかし千島列島への兵力大量投入とアメリカ軍攻撃により、北部軍司令部は防衛から作戦軍への編成換をせまられ、大本営は十九年二月北方軍司令部を第五方面軍司令部とし、千島作戦に専従する第二七軍司令部の編成が下令された。これにともない本州四県は管轄から離れ、第五方面軍は北海道、樺太、千島に限定した作戦軍司令部となった。さらにソ連の対日参戦が予測され、本土決戦の準備が課題となるにいたって、各軍を改編し作戦を担当する方面軍と軍政を担当する軍管区司令部に分けることになった。北海道にもこれが適用されて二十年一月からは第五方面軍と北部軍管区が設けられた。しかし両司令部とも職員は併任の形をとり、この軍組織で戦争の終結にいたったのである。