都市計画街路は、十六年一月二十九日、その変更が平沼内務大臣から近衛文麿内閣総理大臣に内閣認可を申請された(公文雑纂 巻79 昭16)。これは二月三日内閣の認可を得て、三月十九日北海道庁と札幌市役所で図面を縦覧させることが告示された(内務省告示第七五号 官報第四二五八号 昭16・3・19)。それは二等大路第一二号線(白石六条通)と第二五号線(白石駅通)を変更することであった。その理由書によると「最近豊平町大字月寒村ニ重要施設ノ計画決定セラレタル為之ニ伴ヒ同方面ノ街路系統ヲ整正スル必要ヲ認メ」たための変更であるという(公文雑纂)。この重要施設とは、白石駅通の計画街路上に建築された北部軍司令部のことである(札幌都市計画概要)。変更の地図を見ると、白石駅通大半の路線が若干ずれるというものであったようだ。そのずれた白石駅通と交差する地点を終点とした白石六条通も終点位置を変更することになったのである(公文雑纂)。
このような都市計画街路の変更は、十九年に変更された平岸通(一等大路第一一号)と二十年の琴似・東札幌両区画整理による変更と廃止がある。平岸通は、拡幅する幅を大きくしたことと、豊平八丁目通の交差点に交通広場を設けたことである(内務省告示第一九六号 官報第五一八二号 昭19・4・26)。また後者は十九年三月の琴似地区、八月に東札幌地区の土地区画整理が都市計画事業として決定され、公共用地や工場敷地の配置計画のため一部の街路の変更と廃止を行ったのである。琴似地区では、桑園琴似通(二等大路第五号)、琴似雁来通(二等大路第一七号)の位置の一部変更である。東札幌地区では白石平岸通(広路第七号)、南一条白石通(一等大路第六号)、白石八条通(二等大路第一一号)、白石六条通(前出)、東札幌駅前通(二等大路第二二号)、東札幌駅裏通(二等大路第二三号)については、位置の一部、起点、終点、幅員の一部、等類と名称の変更がなされた。そして阿部沼通(一等大路第五号)は廃止された(内務省告示第二四号 官報第五四一八号 昭20・2・8、札幌都市計画概要)。