都市計画風致地区については、十四年三月、道庁の意志として新聞に紹介される。この道庁はおそらく都市計画課のことで、当然札幌市の都市計画係との連携のもとに考えられたものと思われる。その記事によると札幌は「文化の都」「アカシヤの街」「詩の都」「観光の街」などの代名詞を付けて呼ばれるが、道庁ではこの札幌の良さを永久に保存するとともに、市民の保健衛生の見地から都市計画法によって風致地区を設けるべきだという。そこで三月二十日、警察部建築工場課長室で風致地区設定及び取締庁令公布の打ち合わせを行った。その結果、円山山麓一帯、神社表参道、大通逍遥地、豊平川堤防地一帯が指定されるらしいこと、さらに風致地区の美観的機能からその美観を破壊する建物の建築は認められないし、現存するものでも美観を損なうものは屋根の色を塗り直すなどの処置がとらされること、そして四月頃に都市計画委員会を開いて決定され、観光シーズンの六月頃から実施されることなどが報道された(北タイ 昭14・3・21)。
十四年五月十七日、日本赤十字社北海道支部において、都市計画北海道委員会が開かれた。議案は「札幌都市計画風致地区指定ノ件」であった。都市計画地方委員会の委員である高岡熊雄に届いた通知によると、三月六日付で内務大臣木戸幸一から地方委員会へ指定するための審議をするように通知されている(高岡松岡旧蔵パンフレット24―8都市計画地方委員会招集ノ件)。指定案は全会一致で可決され決定し(北タイ 昭14・5・18)、五月二十九日内務大臣から平沼騏一郎内閣総理大臣へ認可をうける閣議が要請された。そして五月三十一日決定し(公文雑纂 巻79 昭14)、七月八日内務省から北海道庁と札幌市役所での図面の縦覧が告示された(内務省告示第三八七号 官報第三七五一号 昭14・7・8、札幌都市計画概要)。そして札幌市では、札幌市告示として八月十一日に札幌市長三沢寛一の名で公布した(北タイ 昭14・8・13)。