炭坑・鉱山・土木関係の労働力不足は、もはや市場メカニズムではいかんともしがたい状況に陥っていた。十四年九月には、それまで抑制していた朝鮮人労働者の内地渡航を認め、内務・厚生次官依命通牒「朝鮮人労働者内地移住に関する方針」「朝鮮人労働者募集要綱」が決定され、炭坑など関係各社は募集担当者を朝鮮に派遣し、大規模な朝鮮人強制連行が開始された(朴慶植 朝鮮人強制連行)。札幌は、北海道石炭鉱業会所在地であり、また石炭業界最大手の北海道炭砿汽船株式会社が事務所を置き、動員業務の中枢拠点となっていた。朝鮮人強制連行は終戦直前まで継続され、これにより炭坑・鉱山・土木の基幹労働力不足は、一応解消された。
一方、内地人の動員は相変わらずであった。札幌職業紹介所では、管内の高等小学校卒業者四〇七〇人のうち、進学希望を除く者たちにつき、保護者、教員、本人と協議の上、就職先を選定した。その結果、重要産業、鉄工場、給仕、事務員、店員、軽易産業へと割り当てを決めたが、卒業時に求人に応じて銓衡会場に出頭した児童は少なかった。子どもたちは、「職紹や先生の決めてくれた職場は嫌です」と訴えたという(北タイ 昭15・3・13)。
職業紹介所が首尾良く軍需産業に就職させた少女たちが、追跡調査の結果、早々に工場をやめ、喫茶店、カフェ、札幌グランドホテルなどに転職していたという事例も報告された(北タイ 昭15・10・3)。全国的にも、少年職業紹介事業は、新規学卒者の掌握に成功していなかった(東条由紀彦 労務動員)。この時期には、軍需インフレは大きな桎梏となっていたのである。しかし、近衛新体制と太平洋戦争はこうした状況を一変させた。
十七年二月には重要事業場労務管理令が公布された。これは、厚生大臣の指定する工場・鉱山(重要事業場)の労務管理、福利厚生に対する主務大臣の大幅な干渉権を与えたものだった(川島武宜 重要事業場労務管理令 中央物価統制協力会議編 経済統制法年報第一巻第一輯)。これに基づいて札幌にも地方労務管理所が設置され、労務管理、雇用契約は「自由雇用」に基づくものから、国家的性格を有するものへと変質させられた(北タイ 昭17・2・26)。
また、北海道賃金委員会は、道内日雇労務者およびこれに準ずる各種労働者の最高・最低賃金を決定した(北タイ 昭17・3・6)。この頃には飲食店などへの風当たりは強く、たとえば十八年一月には、札幌カフェー組合の四五〇人の女給が、小林被服所に出勤し軍服縫製に従事することとなった(道新 昭18・1・21)。札幌警察署管内の割烹、料理店、カフェーは、警察の指導の下に矯風報国会を結成し、自粛営業、国防献金を誓い合った(道新 昭18・1・21)。九月の閣議では、国内必勝勤労対策として、軽易な事務、商業など一七業種への男子(一四歳以上四〇歳未満)の就業の禁止、未婚の二五歳未満の女子を同窓会・部落会・婦人会単位で女子勤労挺身隊に組織し、航空機工場などへ動員することを決定した(原朗 戦時統制)。
国民勤労報国協力令(昭16・11)に基づく昭和十八年度下期第三次勤労奉国隊(勤奉隊)は、男子約三五〇人、女子約一〇〇人で構成され、二カ月間炭坑・鉱山で働くことになった。十九年一月十五日から、男子は職域・各組合で、女子は聯合公区で人選を進めることとされた(道新 昭19・1・15)。国民学校卒業生の就職割当も徹底された。十八年度道内卒業生約五万人のうち、進学・志願兵を除く約二万人を対象に、道職業課が就職割当大綱により第一種軍作業所、国作業所、民間軍需会社、その他最も緊急を要する重要方面、第二種民間重要工場、第三種その他に区分し、道外事業場をも含めて割り当てることになった(道新 昭19・2・14)。
三月一日には庁立高等女学校卒業生による女子勤労挺身隊結成式が挙行された。これは、生徒自らが「教員室に日参して航空機工場への挺身を志願」したのだという(道新 昭19・3・2)。帝国製麻には、「相当大量の大挺身隊が入って来る」予定であるという。寄宿舎が満杯なので、旅館や閉鎖学校を寄宿舎に充てるという(道新 昭19・3・14)。
学徒戦時動員体制確立要綱(昭18・6)に基づき学徒動員も本格化し、北大農学部農芸化学科は軍需工場、畜産・林学科は土地改良事業、水産学科は漁場手伝い、医学部は陸軍病院、工学部土木学科は鉄道複線工事、鉱山学科は夕張、新幌内、三菱美唄、大夕張、手稲、豊羽の各鉱山へ、冶金学科は秋田鋳物工場へなどと、専門性に応じて動員された(道新 昭19・3・22)。
重工業分野へも女子が進出するようになった。十九年十月に「女子挺身隊出陣半歳の跡」という新聞記事がある。札幌の精密機械工場・金子鉄工所に働く四三人の隊員のルポである。五月以降の出勤率は七月に暑さと疲労で下がったものの、ほぼ毎月九〇パーセント以上と良好であった。前年の数値だが、航空機工業の欠勤率は男子一五パーセント前後、女子二〇~三〇パーセントとされている(西成田豊 労働力動員と労働改革)のに比べ、格段に低い欠勤率といえる。技術面では、機械工場部門では、キーシーター、スロッター、セーバー、ボール盤、旋盤など主な工作機械を操作し、仕上げ工場部門では、毛書き、ヤスリかけ、機械組立作業などを行っている。「大の男でも完全習得には四年、五年を必要とする『毛書き』を独りだちで図面をみただけで立派にやりこなす隊員が、四名も出た」と絶賛されている。ただし、女子の欠点として能動性に欠けること、長時間労働に耐え得ないことが指摘されているが、総じて男二人分の仕事を女三人いればやり遂げられると評価されていた(道新 昭19・10・16)。