第一次世界大戦の好景気は長く続かず、大正九年の春頃から不景気の波が押し寄せ、長い不況の時代を迎える。
この不景気の中で、文部省主導で生活改善運動が展開された。この運動は、以前から北海道庁主催で行ってきた内務省主導の民力涵養運動とも結びつき、また中央報徳会や地元婦人団体とも結びついて、禁欲的な消費節約をスローガンとする「思想善導としての色彩」を強く持った生活改善運動へと展開していった。この傾向は、札幌市制施行の頃より一層盛んとなり、既成団体である札幌禁酒会や日本キリスト教婦人矯風会をも巻き込み、それぞれの団体の自らのスローガンとともに運動を展開してゆく。
一方政府は、大正七年の米騒動以来、日本社会全般に享楽的頽廃的雰囲気の広がり、また社会労働運動の激化、社会主義思想の高まりなど、社会動揺や思想の急進化に懸念を示した。政府や指導者の間には、こうした「思想の悪化」に対して「思想の善導」をはかるべきとする声が高まり、大正十二年九月の関東大震災により、人心の動揺・社会不安が著しく、これに対処する意味から同年十一月十日、「国民精神作興の詔書」を出した。これは、国民を戒しめ、上下協力して国民精神の振興と国家隆興をはかるべきことを国民に説いたもので、以後、精神作興講演や精神作興週間などの形で国民の中に浸透してゆく。
一方、明治期以来の婦人会活動は、大正期に内務省の肝煎りで各地域ごとの処女会の設立ラッシュを迎える。だが、昭和初期には内務・文部両省によって女子青年団として、国家発展のための貢献を求められた。
以上、文部省主導の生活改善、禁酒・矯風会、処女会・女子青年団といった生活改善諸団体とは少し様相を異にする生活改善運動も展開された。森本厚吉(北大教授)・吉野作造・有島武郎を中心とする文化生活研究会の活動である。ここでは、それらの諸団体の活動を例にとって、考え方をみてみたい。