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「紀元二千六百年」行事と新体制

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 昭和十五年は、「皇紀」で二六〇〇年にあたるとされ、十一月十日、政府主催のもと「宮城前広場」において「紀元二千六百年記念式典」が行われた。札幌市からも市長をはじめ、翌十一日の「奉祝会」で奉祝歌を合唱する奉唱隊女子班として五人の高等女学校生が選ばれて派遣された(北タイ 昭15・11・10)。
 札幌市でも、市主催の「紀元二千六百年奉祝式」行事が大通西一丁目広場で行われ、伊沢助役、市の職員をはじめ、各団体、小中学生、産業報国会、青年団、女子青年団、愛国婦人会、国防婦人会、在郷軍人会その他一般市民等約二万人が集まり奉祝式を挙行した。奉祝式は、「開会宣言」「国旗掲揚」「宮城遥拝」「国歌斉唱」「二千六百年頌歌奉唱」「詔書奉読」「式辞」「万歳三唱」「閉式」とすすめられ、そのあと市内二手に別れて「旗行列」が行われた。行列に参加した人びとは「奉祝紀元二千六百年」の幟の立ち並ぶ沿道を日の丸の小旗を手にして行進し、狸小路町内会では、「聖寿万歳」を奉唱した(北タイ 昭15・11・11夕)。しかも、十日から三日間のみはネオン以外のイルミネーションも許されたので、人びとはしばし戦争を忘れて喜びを味わったのである。
 その一方、十五年十月十二日大政翼賛会が結成され、経済新体制(統制会)・勤労新体制(大日本産業報国会など)とならぶ「国防国家体制」の中心的政治組織として位置づけられ、大政翼賛運動の推進組織が誕生した。新聞で拾うと、ちょうど奉祝行事のあとは「新体制」と「翼賛」の文字がおどっている。人びとは新体制を「勤労報国」「産業報国」といった形で国家的使命をもって受けとめることとなる。