昭和十二年六月、「米国の聖女」と称されるヘレン・ケラーが秘書のトムソンらとともに札幌を訪れた。周知のように、ケラーは家庭教師のサリバンの指導により、視覚・聴覚・言語の三重の障害を克服してラドクリス女子大学を卒業し、博士号を取得した女性である。札幌では私立札幌盲学校、大日本聾啞実業社、札幌市役所などが主催してケラーの講演会を二回開催した。会場となった札幌市公会堂には、合わせて四〇〇〇人以上の市民が詰めかけ、盛況をきわめた。講演会は最初にトムソンがケラーの苦難に満ちた生い立ちを語り、続いてケラーがトムソンの質問に答える形で進められた(北海道社会事業 第六二号)。それはケラーの指文字をトムソンが英語に翻訳し、それをさらに通訳の岩橋武夫が日本語にする方法で行われた(同前)。
ケラーの講演は自らの体験を通して、障害者への教育の可能性とその社会的自立の重要性を説くもので、多くの市民に深い感銘を与えるとともに、障害者への関心を高める契機となった。しかし、こうした関心の高まりも翌七月に日中戦争が勃発し、戦時体制化の進行とともにクローズアップされてきた「傷痍軍人問題」の方へと転化していった。