ビューア該当ページ

「ヘレン・ケラー女史講演会」

917 ~ 917 / 1147ページ
 昭和十二年六月、「米国の聖女」と称されるヘレンケラーが秘書のトムソンらとともに札幌を訪れた。周知のように、ケラーは家庭教師のサリバンの指導により、視覚・聴覚・言語の三重の障害を克服してラドクリス女子大学を卒業し、博士号を取得した女性である。札幌では私立札幌盲学校大日本聾啞実業社札幌市役所などが主催してケラーの講演会を二回開催した。会場となった札幌市公会堂には、合わせて四〇〇〇人以上の市民が詰めかけ、盛況をきわめた。講演会は最初にトムソンケラーの苦難に満ちた生い立ちを語り、続いてケラーがトムソンの質問に答える形で進められた(北海道社会事業 第六二号)。それはケラーの指文字をトムソンが英語に翻訳し、それをさらに通訳の岩橋武夫が日本語にする方法で行われた(同前)。
 ケラーの講演は自らの体験を通して、障害者への教育の可能性とその社会的自立の重要性を説くもので、多くの市民に深い感銘を与えるとともに、障害者への関心を高める契機となった。しかし、こうした関心の高まりも翌七月に日中戦争が勃発し、戦時体制化の進行とともにクローズアップされてきた「傷痍軍人問題」の方へと転化していった。