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コーラス

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 北海道大学では、大正十年北大ソキエタス・パストラーリス・モルゲン・メンネルコールが発足。一方、北大文武会音楽部が大正十三年にでき、その声楽部が今日の北大合唱団につながる。
 在野の市民の合唱団として札幌混声合唱団が、大正十二年に東末吉笹三津彦鈴木清太郎相沢俊郎中村武士らによって発足し、毎週一回冨貴堂楽器部や豊平館で合唱練習が行われた。一時中断していたものの、昭和二年に、東京音楽学校を出た鈴木清太郎を迎えて、合唱団は活動を再開する。さらに団員に東京音楽学校を出た横尾雪子(市立高等女学校教諭)を四年に、朝山綾子(庁立高女教諭)を五年に迎え、活動は活発になってゆく。五年五月二十二日(木)の「練習所日誌」には、「午後五時より男子部は鈴木君、女子部は横尾君指導の許にコーリューブンゲン其の他基礎的練習をなし、午後七時より鈴木指導にて合唱練習をなす。曲目は山の乙女の舞踏歌、春の弥生等」とある。合唱団は「純音楽研究団体」と自らを位置づけ、「生活を美化したい、生活をうるほしたい、良い気分に浸たりたい」と会誌『コラール』に抱負を語る(コラール 八 多米浩旧蔵史料)。
 昭和五年六月二十七日、第一回合唱演奏会が団員三三人で、豊平館広間で行われた(札幌のコーラス さっぽろ文庫65)。
 その他、昭和六年に、札幌鉄道管理局混成合唱団が、十七年に札幌放送合唱団(女声)が設立され旺盛な活動が展開する。