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市政における保革対立

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 昭和三十年代は政府・保守勢力側からさまざまな制度改正案が打ち出され、またそれに対抗する広範な運動が全国で繰り広げられた時期である。
 三十三年十月に岸内閣によって提案された警察官職務執行法改正案に対しては、同月十三日に社会党・総評・全労など六六団体からなる警職法反対国民会議が結成され、二十五日には札幌、東京、名古屋、大阪、福岡の五大都市を中心に、全国三〇都道府県で警職法粉砕国民大会が開催された。同日札幌では、社会党、共産党、全道労協、農民同盟、平和婦人会、PTA連合会などによって警職法改正反対連絡協議会が結成された(道新 昭33・10・26)。三十四年には日米安全保障条約改定問題をめぐって、三月二十八日に社会党、総評、原水協、全日農、護憲連合、中立労連など一三四団体によって安保条約改訂阻止国民会議が結成された。同会議は翌年六月の新安保条約・協定の承認・批准まで十数回に及ぶ安保阻止統一行動などを実施して全国に運動を広げた。札幌でも地区労を中心に統一行動が実施された。市議会でも高田市政末期の三十三年十一月に、総務委員会で警職法改正反対決議をめぐって保守系議員と社会党議員の間で対立が生じていた(道新 昭33・11・22)。原田市政はこのような保革の対立が激しくなる時期に誕生した。
 市議会で大きな論議を呼んだものの一つは、市の公安条例(集会、集団行進および集団示威運動に関する条例)の存廃問題であった。二十五年九月に制定された公安条例については、早くも二十八年九月の市議会で山田長吉議員(労農党)がその廃止を要求しており、翌年六月の市警廃止論議の中でも同議員は市警廃止と同時に公安条例を廃止することを主張していた(八期小史)。そして安保改定阻止闘争が高揚した三十四年、市議会で改めて公安条例廃止の要求が社会党議員から出された。自治体警察廃止とともに公安条例が廃止された都市が多く、この時点で存続しているのは札幌、新潟、東京、京都の四都市となっていた(道新 昭34・10・8)。十二月十日には地区労と安保阻止札幌地区実行委員会が原田市長に面会して公安条例廃止の陳情を行い(道新 昭34・12・10夕)、市議会に対しても公安条例廃止の陳情を提出した(道新 昭34・12・11)。市議会総務委員会では翌年二月九日、三月三日に同条例を実際に運用している道公安委員会、道警、札幌中央署の代表を呼んで質疑を行い、そこでは革新系議員と警察側の意見が厳しく対立した。市議会各派の調整は難航し、結局三月十五日の同委員会で審議未了となった(道新 昭35・3・16)。
 三十五年十二月、公安条例廃止と同時に安保条約改訂反対の陳情が出された。翌年五月には、安保批准反対と国会解散を要求する請願が九件市議会総務委員会に提出された。同委員会では保革両派の議員間で論議の末、結局全件不採択となった。これは六月二十四日の本議会に報告されたが質疑が紛糾し、社会党は「岸政府の即時退陣国会解散を要求する決議」を提案したが、否決された(十期小史)。
 三十五年六月の市議会では監査委員選任問題で大きな混乱が起きた。改選後初市議会(昭34・5)で第三会派の社会党監査委員を要求して市議会が紛糾し、議長斡旋によって翌年に社会党監査委員一人を得られることでこの時は落着したが、社会党から民社党系議員が離脱したため社会党への監査委員割り当てを保守派が拒否した。これに対して社会党は常任委員長などの役職を一切返上し、議会運営委員会にも参加しないという態度を取った。またこれに関わって、三十五年九月の平田勝美議員(社会党)の会期延長修正動議の長時間の提案説明のあり方について保守系議員が懲罰特別委員会を提案、設置され、十月の本会議で懲罰が議決された。平田議員は十一月に斎藤忠議長ほか四議員を相手取り、札幌地方裁判所に謝罪広告請求の訴えを出した。三十六年六月の監査委員の選出でも市議会は紛糾したが、結局監査委員二人中一人を社会党が獲得することとなり、議会史上初めて社会党監査委員が生まれた。これにより、社会党は一年ぶりに議会運営に復帰して変則議会の正常化が図られ、平田議員の告訴も取り下げられた(十期小史)。
 この他に、水道料金値上げ問題(昭35)、市電市バス料金値上げ問題(昭37)、「六・一五お祭りスト」行政処分問題(昭37)などでも、革新派議員と保守派議員ないし市長との対立が市議会では生じた。