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〔陸海軍病院から国立病院へ〕

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 軍事保護院の病院・療養所および陸海軍病院は、一旦GHQ接収されたが、非軍事化政策のもとに利用者を軍人に限定しないなどを条件に返還された。そのため札幌市域の旧陸軍病院と結核療養所は表39のように国立病院として再編成された。そのなかで豊平町月寒旧陸軍衛戍病院の動向についてみることにする。
表-39 旧陸軍病院・療養所の再編(昭和49年現在)
戦前戦後
札幌陸軍病院(月寒)国立札幌病院
市立札幌療養所国立療養所西札幌病院
北海道傷痍軍人北海道第二療養所国立療養所札幌南病院
『厚生省五十年史 資料編』より作成。

 同病院は二十年十二月、一般開放し医療事業が開始されたが、二十二年の時点でも入院患者一五四人中、三分の二は旧「傷痍軍人」が占め、そのほか行き先の無い外地引揚げ患者とその家族五〇人も看病をしながら窮乏生活を送っていた。したがって「身体障害者福祉法」(昭24)が施行されるまでの期間、戦争の傷跡を引きずりながら療養生活を送る「傷痍軍人」や、「生活保護法」の適応が実現するまで、病人を抱えた引揚げ家族らの治療と生活が混在する施設としても機能した。
 二十五年に市は、国立札幌病院を交通不便のため利用者が減少する月寒から、医療機関の少ない市内菊水(当時白石町4の4)へ移転誘致を決定した。二十七年には市議会が「国立札幌病院新築完成促進に関する意見書」を議決し(昭27二定会議録)、二十八年、移転後に開院した。その後四十三年にがんセンターが併設され、新時代のがん患者治療の中心的役割を果たすことになった。