戦後の北海道勤労者医療協会病院開設運動は、戦前期に札幌で実現しないまま終焉した無産者診療所開設運動を源流とする。
二十一年九月、全日本進駐軍要員労働組合(のち全駐労)北海道支部が、市内狸小路八丁目(南3西8)の事務所二階に組合診療所を開設した(このあゆみ星につなげ 北海道勤医協の歴史)。医師と看護婦一人が、全駐労北海道支部組合員だけでなく一般住民へも治療を始めたが、二十二年のゼネスト中止以降の労働運動への規制に伴い、診療所も二十三年八月廃止された。そこで、全駐労道支部から設備・薬品の譲渡を受けた医師らが開設した札幌診療所を母胎として、二十四年一月勤医協が設立され、二十四年社団法人として認可された。同協会設立の目的は、「大衆のための医療制度を確立する」(趣意書)こととし、健康保険患者の優遇、軽費診療、集団検診・衛生調査の実施などを図るとともに、各地に診療所の増設をめざした。
勤医協札幌病院(菊水4)は、二十四年に開設した白石診療所に始まる。国立札幌病院が移転する以前の同地区では、病人や怪我人は半日がかりで市立札幌病院への通院を余儀なくされていた。白石診療所は、同地域結核患者の三割の診療を受け持つなど患者が増加し、医療パトロールも開始された。その後三十三年に病院に昇格し、三十九年に移転新築し勤医協札幌病院として一一七床のセンター病院に拡大、同協会月寒病院などとともに地域住民への医療活動網が推進された(同前掲書)。